スタッフのつぶやき

2025.06.05

すぎジイのつぶやき「柳に風」131

バルト三国と北欧演奏旅行

 名古屋の男声合唱団・東海メールクワィアーに在籍していた1997年に、合唱王国と言われるバルト三国のエストニアと北欧のフィンランドに演奏旅行に行った。いろんな意味で衝撃を受け、その後の自分の嗜好に大きな影響を与えた旅であった。

 前述の「歌う革命」でも取り上げたが、エストニアはかつて帝政ロシアの植民地となり、ロシア帝国崩壊後は旧ソビエト連邦に統合された。やがて1991年に革命によって独立を果たした国である。私たちが訪れた時は、まだ独立から数年の間もない頃で、首都タリンの中央駅にはロシアの列車も停車していた。今でこそIT立国と言われているが、当時はまだどことなく共産圏の影を落としていた。深夜に着いたタリンの空港は寒々としており、緊張感が増していた。ホテルで宿泊した翌朝、旧市街地を散策したが、その石畳とまさに中世さながらのオレンジ色の屋根の集合体が気分を中世都市に戻すかのようだった。

 その夜のコンサート会場は、まさにその旧市街地にあるブラックヘッド・ギルド会館という中世に栄えた若い商人たちの組合のホールで行われた。また、終演後の打上げはタリン工科大学男声合唱団の練習会場でもあるタリン郊外の小高い丘の斜面に建つ中世建築様式のグレン城に場所を移し、盛大に行われた。大量のエストニアのSAKUビールと豪勢ではないがいかにも酒のツマミらしい豆類や干し魚を中心の渋い料理で歓待された。飲んで歌って、歌って飲んでまた飲んで、という具合に夜が更けるまで異国での酒宴は続いたのだった。言葉は違えど、歌は国境を越える。そして男声合唱団に属する男たちは世界共通なのだと実感したものだ。

(すぎジイ)

2025.05.16

すぎジイのつぶやき「柳に風」130

漢詩の魅力

 中国の魅力は詩と料理だと思う。

 豊富な食材を強火と油で合理的に調理する中国料理は世界的にも人気があり、「世界三大料理」の一つとして知られている。一方、その中国料理店でよく壁に掛けられているものが有名な詩であったりする。漢詩については優れた詩人が綺羅星のごとくおり、風流な詩を後世に残した。

 さらにまた、能にもその漢詩を取り入れた曲が多く、例えば、「楊貴妃」や「邯鄲」、「砧」、「天鼓」、「三井寺」、「道成寺」などの名曲に実にうまく活かされている。唐の玄宗皇帝と楊貴妃の恋愛物語が語られている白居易の「長恨歌」や晩秋の孤独な旅愁を詠んだ張継の「楓橋夜泊」はいずれも名高い詩であるが、前者は文字通り能「楊貴妃」に、後者は「三井寺」や「道成寺」に夜の寂しさを高めるために効果的に取り入れられている。

 漢詩の味わいは、しみじみとした内容もさることながらそのリズムや語感も面白く、一杯やりながらそらんじてみたりすると酒もまた美味くなるというものだ。私が個人的に好きなのは、田園詩人の陶淵明や詩仙といわれた李白だが、静かな心と俗世間を対比した李白の「山中問答」や月を友として飲む酒の味わいを語る「月下独酌」は、それ自体が酒の友となるのである。

「山中問答」 李白

問余何意棲碧山

笑而不答心自閑

桃花流水窅然去

別有天地非人間

 

余に問う 何の意あってか碧山に棲むと

笑って答えず 心 自ずから閑なり

桃花 流水 窅然として去る

別に天地の人間に非ざる有り

 

「月下独酌」 李白

花間一壺酒

独酌無相親

挙杯邀明月

対影成三人

 

花間 一壺の酒

独酌 相親しむ無し

杯を挙げて明月を邀え

影に対して三人と成る

(すぎジイ)

2025.05.01

すぎジイのつぶやき「柳に風」129

響きのいいホールの条件とは?

 クラシック専用のコンサートホールで一番大切なことは、音響だ。

 豊田市コンサートホールは、日本屈指の永田音響設計による音響設計がされている。音響設計とは、通常の建築設計とは別にホール内の反響や残響などを適切に制御し、遮音や防音も徹底して、より静かでよい響きを体感できる音響空間を構築することである。当館の場合、残響は空席持で2.4秒、満席持で2秒という設計がされており、クラシック音楽を生音で聴くのにベストな数値となっている。永田音響設計の理念は「静けさ」「よい音」「よい響き」と言われており、静かな空間で演奏者が快適に演奏でき、客席で良好な音質と響きで聴けるような優れた音響空間が実現しているのだ。

 当館において、これまでにも多くの世界的アーティストからその響きの良さを絶賛されてきたことは大変嬉しく、誇らしい。かつて、名指揮者パーヴォ・ヤルヴィ率いるドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団が来日した時、豊田市コンサートホールの音響を大変気に入っていただき、なんと当館だけ他館とは異なるアンコール曲としてシベリウスの「悲しきワルツ」を演奏して、深い感動をもたらした。「悲しきワルツ」はパーヴォが大切にしている曲らしく、当館の響きの良さを気に入り、それに合わせて特別に演奏してくれたようだった。そのことは、日本国内のコンサートツアー中、他館に行っても「昨日の豊田のホールの響きはよかった」と何度も言っていたとマネージャーから聞いたのである。ホール主催者としては最高に嬉しい瞬間だ。さらにまた、海外在住のある世界的ピアニストが、日本では、東京のサントリーホールと福岡のコンサートホールと豊田市コンサートホールだけを理想の演奏会場としてリクエストしてきたということもあった。ホールをご指名いただくことの名誉は、何物にも代えがたい。ホールにとって音響は命なのである。

(すぎジイ)

 

2025.04.30

すぎジイのつぶやき「柳に風」128

日本の大衆酒場の最高峰

 名古屋に明治40年創業で日本の大衆酒場の最高峰と言われる老舗「大甚」がある。大きく「酒」と書かれた紺地の暖簾をくぐるとそこはもう夢の世界だ。入ってすぐに酒の菰樽がドンと構え、お燗番の女将さんが采配を振るう。ズラリ並んだ徳利が美しい。その横では大将の「いらっしゃあ~い」の大きな声が響き渡り気持ちいい。この店は、一枚板の大きなテーブルがいくつもあり、一人でも数人でも相席がルールだ。つまみは小皿に盛られたありとあらゆる種類の季節のものが、ショーケースに所狭しと並んでいる。好きなものを好きなだけ取って自分のペースで燗酒をいただく。まるで時代劇にも出てくる江戸時代の庶民の酒場のイメージだ。

 土曜日になると尋常ではない。夕方4時の開店を目指して行くと、第一陣では入れなくて長蛇の列に並ぶことになる。つまり3時頃から並んでいる輩がいるということだ。

 店内は、大喧騒が故にかえって静けさを感じるほど。冬は煮凝りに豆腐鍋、春を目前にめかぶ、酢だこ、メヒカリの炙りをサカナに燗酒をゆっくりと飲るのはたまらない。柱時計は5時。外はまだ明るいのに、ショーケースのネタはもう無くなってきた!

(すぎジイ)

2025.04.20

すぎジイのつぶやき「柳に風」127

拍手のタイミングはいつ?

 能が終演した時、拍手のタイミングがわからないという問合せがよくある。結論から言えば、拍手はしてもしなくてもよい、である。もし拍手をするなら、舞台上からすべての出演者がいなくなり、幕が下りてからするのがベストなのだ。

 実は、日本人は元々拍手をしなかった。神や目上の人の前で「かしわで」を打つのは古くから行われていたが、江戸時代まで拍手の習慣はなかったようだ。能・狂言は言うに及ばず、歌舞伎の観客なども拍手はしなかったらしい。『半七捕物帳』の著者・岡本綺堂の随筆に、彼が明治12年、8歳の時に新富座で歌舞伎を見た経験が書かれており、「俳優の名を呼ぶ声もしきりに聞こえた。しかし手をたたく者は一人もなかった。その頃には、劇場で拍手の習慣はなかったのである。」とある。その後、明治39年に書かれた夏目漱石の『坊ちゃん』では、坊ちゃんが赴任先の学校で「教場へ出ると生徒は拍手をもって迎えた。」との記述があるので、おそらく明治の中盤に、西洋人が音楽会や観劇の後に拍手をするのにならい、拍手の習慣が広まったと言われている。

 能楽堂では、昭和20年代までは拍手をしなかったようだ。その後しだいに拍手をする観客が増えてきたために、いくつかの能楽堂で「拍手はシテ(主役)の退場時だけ」というお願いを出すようになったとのこと。本来、能は拍手が無い前提で構成されているので、拍手はかえって進行を妨げるのだ。歌舞伎にしても過度な拍手は妨げになる。

 能を観ていると、本当に感動した時はため息こそ出るが、拍手ができないことがある。席を立てないほどの感動もあるのだ。舞台上の出演者が全ていなくなっても、その余韻を味わうということが能の醍醐味ではないだろうか。

(すぎジイ)

2025.04.05

すぎジイのつぶやき「柳に風」126

「舞い」と「踊り」は何が違う?

 能を演じることを「能を舞う」と言う。「能を踊る」とは決して言わない。ではそもそも「舞い」と「踊り」とは何が違うのだろうか?実はその発祥や目的からして根本的に違うのだ。

 「舞い」の動きは水平移動が基本。特徴は水平に回る旋回運動である。その動きはまず心から先にでき上り、それに動きがついてきた。手と上半身の動きが意味を持ち、手に扇や鈴などを持つことも多い。重心は低い。神仏に対して行う献上の動きで、根本的には一人から始まる芸能だ。神社で奉納される巫女舞や獅子舞は代表的な「舞い」である。

 一方「踊り」の動きは上下の動きが基本。特徴は跳躍運動で、「踊り上がって喜ぶ」という表現を使うように各地の盆踊りや念仏踊りでは、飛んだり跳ねたりといった激しい動きを持つものも多い。身体が先に動く身体躍動感みたいなものから始まり、それに掛け声や唄が後でついてきた。跳躍運動なので、重要なのは下半身や足の方だが、重心は高い。人に対して行う動きで、複数の人や集団で踊る庶民の参加型の芸能が日本の踊りの基本形だ。盆踊りや念仏踊りが典型である。

 日本人なら、「舞い」と「踊り」の違いはぜひ覚えておきたいものである。

(すぎジイ)

2025.04.01

すぎジイのつぶやき「柳に風」125

隠居への憧れ

 定年が60歳から61歳に1年延長され、61歳の年度末に定年退職を迎えた。すでに昨年60歳で管理職を下り、デスクから現場へ“舞い戻った”1年であった。収入は大幅にダウンしたが、肩の荷が下り、大好きな舞台芸術の現場で舞台の裏方として働くことはとても嬉しく、楽しく、身体にもいいようだ。

 思えば32歳で転職をして、働き盛りに約30年間コンサートホール・能楽堂で仕事をさせてもらった。4月からは再任用となり、一年一年契約することとなる。先のことはわからない。

 作家・藤沢周平の「三屋清左衛門残日録」を読むたびに、隠居というものに憧れていたが、私たちの世代はまだまともな年金も支給されず完全な隠居は無理である。そもそも隠居とは、広辞苑によれば「世事を捨てて閉居すること」あるいは「家長が官職を辞し、または家督を譲って隠退すること」とあるが、いずれにせよ表舞台からは一歩退いて隠れて居することである。そういう意味でも、舞台の裏方に徹することは理に適っており、理想的なスタイルだ。まあ、まだまだ働かなければならないが、老害にならぬよう余計なことは口出しせずに若い人に任せ、後方支援と穴埋めに徹し、心中の隠居を楽しむことにしよう。

(すぎジイ)

2025.03.20

すぎジイのつぶやき「柳に風」124

徹夜のオープン前夜

 1998年11月に豊田市コンサートホール・能楽堂はオープンした。

 あれはその年の春頃だっただろうか。その建設中の現場の様子を準備室のスタッフ全員で見学に行ったことがある。いったいどんな形になっているだろうとワクワクしたのを覚えている。建設現場では大勢の人たちが働いており、うっすらと埃が舞う中に舞台の形と段々畑のような客席の基礎部分がその姿を白木の状態で現していた。未完成の姿というのは、完成形のイメージが膨らむだけにとても感慨深いものである。ここで世界的なオーケストラのコンサート、あるいは能楽堂では能や狂言が演じられるのだと想像したら、湧き上がる興奮は半端なかった。

 その後、建設工事が進み、いよいよオープンが迫ってくるとハード面のみならずオープニング事業や友の会会員組織の発足やジュニアオーケストラの運営など諸々のソフト面でも慌ただしく準備が進められた。なにしろ全てにおいて初めてのことばかりである。先進施設を調査しながら、職員全員で分担して手探りで行ってきたのである。

 そしていよいよオープンが近づくと、もはや徹夜に近い状況になった。スタッフは皆高揚し、睡眠不足で目は赤く、かなりハイテンションになっていたような気がする。それでもこれは人生において一度しか味わえない貴重な経験として、全てのスタッフが夢中になって取り組んだ仕事である。何かを新たにオープンするという仕事に携わることは、縁がなければ出遇えない。今思えば、奇跡のような仕事であったのかもしれない。

(すぎジイ)

2025.03.06

すぎジイのつぶやき「柳に風」123

コスパ・タイパ・スぺパの先にあるもの

 生命誌研究家のレジェンド中村桂子さんが著書で、「私たちが求めてきたものは何よりも、「便利さ」と「豊かさ」だった(中略) 便利さとは速くできること、手が抜けること、思い通りになる事であり(中略) 速くできる、手が抜ける、思い通りにできる。日常生活の中ではとてもありがたいことですが、困ったことに、これはいずれも生きものには合いません。生きるということは時間を紡ぐことであり、時間を飛ばすことはまったく無意味、むしろ生きることの否定になるからです。」(『科学者が人間であること』)と言われており、強く共感した。現代はやたらにコスパ・タイパ・スぺパが叫ばれるが、これらは何事かを成すための手段としてはある程度は効果的であることを認めるが、最近ではもはや手段ではなく目的になってしまっているように感じるのは私だけだろうか。中村桂子さんが指摘される「時間を飛ばすことは生を紡ぐことにならない」という言葉の通り、手間をかけることこそが生きることの意味があるのではないだろうか。そう考えると、不便さを感じつつも手間をかけて成すことにこそ「生きている」実感と本当の豊かさが感じられるのだろう。倍速視聴などはもちろんのこと、何かを調べるまたは取材をするという手間は、かければかけるほど本質に深く肉薄していけるものだが、スマホで簡単に検索した結果の素早く答えを見つけることは、どこか薄っぺらで深みに欠けてしまう。

 昔の上司と「無駄」や「時間」について対談していた時、はたしてコスパ・タイパ・スぺパの先にあるものは一体何だろうという話になった。ひょっとして、まさか、ライパ?(ライフ・パフォーマンス?)とお互いに呟き見つめ合った瞬間、ゾッとしたものだ。人生までも効率化してしまうことになるのか。もうそこには人間を生きるという意味はなくなってしまうのではないだろうか。 

 ここはひとつ、何とかパフォーマンスよりも手間をかけることにこだわってみたい。

(すぎジイ)

2025.02.18

すぎジイのつぶやき「柳に風」122

薪能は幽玄の極み

 野外で薪を焚いて上演する能を薪能という。

 これまでに何度か行ってきたが、一番大変なのは雨に泣かされた時である。能で使用する能面や能装束は、楽器と同様で雨に濡らすわけにはいかない。雨天の場合は、やむを得ず早めの判断をして、予め用意した別の会場に場所を移して行うわけだが、かつて、数年続いて雨に悩まされたことがあった。そうなると、つい一体誰が雨男なんだと皆が声を上げることになる。

 順調に野外で上演された時も、室内の能楽堂と違い様々なトラブルに見舞われることがある、薪を焚く火の明かりだけでは少し暗いので、補強として照明機材も使って舞台を照らし出すわけだが、野外なので電源車を使って発電をしていたところ、上演の途中で電源が切れてしまい照明が落ちたことがあった。急に暗くなり照明業者は大慌てで電源確保に紛争したが、当のお客様は案外落ち着いたもので、薪の火だけになった方がより幽玄の雰囲気が出て、むしろ好評だった。なかには、本気で演出だと思われた人もあったくらいだ。いくら補助的とはいえ、やはり人工的な照明よりは揺れ動く自然の炎の方が雰囲気を盛り上げるのだ。

 また、演者がつけていたピンマイクが動いているうちに装束に擦れて外れてしまったとか、虫が飛んでくるとか、蚊が演じる人の能面の中に入ってくるとか、野外ロックコンサートのように大音量になりすぎて雰囲気ぶち壊しとか、まあいろいろあるわけである。それでも薪能は自然に溶け込み本来の能の姿を浮き彫りにする素晴らしい企画である。

(すぎジイ)

2025.02.04

すぎジイのつぶやき「柳に風」121

アウトリーチは刺激がいっぱい

 「アウトリーチ」という言葉がある。外へ腕を伸ばす、というような意味になるが、これは芸術文化の分野では例えばコンサートホールから演奏家が学校や福祉施設や医療機関など外に出かけて活動することを指す。ミニコンサートもあれば学生相手に楽器クリニックというレクチャーを行うこともある。豊田市コンサートホール・能楽堂では、もう10数年前からこのアウトリーチを行ってきた。特筆すべきは、コンサートホールや能楽堂に出演する一流の演奏家に、本番当日の前後日を活かして学校や各種施設に出向いてもらえるように交渉してきたことだ。プロが出向くことで普段コンサートを聴きに行くことができない人たちに一流の音楽を聴いてもらうことができる。

 ある時、カナディアン・ブラスという金管アンサンブルが来日した。豊田市内のある中学校の吹奏楽部の放課後練習に出向いていただき、練習のクリニック、いわゆる指導と演奏をしてもらった。「目を閉じて周りの音を聴いてみて」「ここからここまでを楽譜通り歌ってみて」「歌うように吹いてみて」・・・。様々な表現で指導をしていただいた後に生徒たちが演奏してみたところ、それを聴いて驚いた。クリニックの前後で格段に音がよくなっているのだ。とても音楽的になったというか、ただ吹いていただけの演奏から生き生きとした躍動感や子どもたちの感動までも伝わってきた。これだからプロの指導は凄い。

 また、ある時はブラジル・サンバ・カーニバルという歌と踊りと演奏の一座に市内の小学校に行っていただいたこともある。ダンサーが身体を動かしてダンスを披露するが、そのサンバのリズムの踊りが子どもたちに大受けし、何も指示しなくとも勝手に手足を動かしながらリズミカルに体が反応していた。子どもの感性たるや恐るべし。ただし、お尻フリフリのダンサーに顔を真っ赤にしていたのは男の子たちで、興奮していたのは男の先生たちである(笑)。

 もちろん伝統芸能のジャンルでもアウトリーチはある。能楽師が学校に出向き、大きな声で発声する体験をさせたり、能面や装束を着ける体験をしてもらったりするのはとても喜ばれる。体育館に響き渡る大声、発声に子どもたちは驚き、集中力が高まる。和の世界観にいきなり引き込まれるのだ。広い体育館であっても能楽師の大きくゆっくりと遠くを見る動きや声は、人物を大きく映し出す。存在感が大きくなり、圧倒されるのだ。

 アウトリーチは子どもにも大人にも刺激的なアプローチなのである。

(すぎジイ)

2025.01.28

すぎジイのつぶやき「柳に風」120

キャンプで五感が冴えわたる

 2020年に起こった新型コロナウイルス感染症の世界的流行のため、世の中は密を避ける風潮が一気に広まった。そんな矢先、まさに密を遠ざけるキャンプ、しかも大型ファミリーキャンプではなく小規模なソロキャンプが大ブームになった。私も友人に倣い、細々と始めてみるうちに、すっかりその魅力にハマってしまった。自然の中で身を開放して焚き火をしたりハンモックに揺られたりすることのなんと気持ちのいいことよ。日常的には、休日に近所の河原に行き、焚き火を焚いてコーヒーを沸かしたり、茶道具を持ち出して野点をしたり、また簡単な食事を作ったりするだけだが、そのシンプルな行為のすべてが便利で快適な日常から抜け出して、不便で手間のかかる行為であるが故に、身体全体を使って隅々まで生き生きとしてくる。

 また、年に数回は友人と一泊のキャンプに出かけることもある。20代の頃、アウトドア好きのある上司から「キャンプの一番の魅力は、喋らなくてもいいことだ」と教えてもらった。親しい仲間とワイワイ盛り上がるキャンプもいいが、目の前の自然と相対し、静かに黙々とやるべきことをやるのは気持ちがいいものだ。キャンプ場に着いたら、まず居場所を決め、テントを張って居住空間を作る。現地で薪を拾い薪を割り、小さな火を熾して、火を育てる。暖をとり、シンプルな焚き火料理で腹を満たす。夕闇からの残照に身を置き、酒を飲みながら、ゆっくりと火を眺める。言葉の要らぬひと時だ。静寂さの中に鹿の気配を感じ、ヘッドライトで辺りを照らし遠くに目を凝らすと、闇夜に目が合った。やがて夜も更けてテントの中へ。シュラフに入ってF.フォーサイスのミステリーや種田山頭火の俳句集を読むのは、無上の喜びだ。遠くに鹿の鳴き声。キャンプは五感が冴えわたる。

(すぎジイ)