スタッフのつぶやき

2025.08.22

すぎジイのつぶやき「柳に風」136

小野小町が、最後に求めたものは? ― 人間の驕りと仏への救済 ―

 美しく華やかなものが朽ち衰えてゆくのは世の常だ。能の名作「卒塔婆小町」はそこに光をあてる。

 道端の朽ちた卒塔婆(墓標)に腰掛ける老婆。それは、かつて美貌と才覚を誇り慢心し、多くの男たちを虜にした小野小町のなれの果てであった。華やかな昔に比べ、今や衰え果てた老婆は、垢にまみれた衣を身にまとい、物乞いをしながら歩いている。小町の驕慢とかつて彼女に恋慕してきた幾多の男たちの恨みゆえ、その業の報いを受けつつなお生きながらえる小町。悲哀の末の最後は、仏の慈悲に救いを求め、ひたすら悟りの道を願うのであった。

 美しさとは何か、老いとは何か、愛憎とは。人生の栄枯盛衰の様々な局面が凝縮された見どころ多い名作能が「卒都婆小町」である。豊田市能楽堂でも何度か上演し、名演に出合った。美しかったものが崩れてゆく道。若さを誇ってきたあなたが深い感動に包まれるひと時になる。

(すぎジイ)

2025.08.07

すぎジイのつぶやき「柳に風」135

奥様のダメ出し

 「全然響いてないわよ!」「もう一度やり直してみて!」

 コンサートホールでリハーサル中に、演奏家の奥様の声が響き渡る。

 男性アーティストの中には奥様と同伴で楽屋入りして、リハーサルを聴いてもらいながら指摘やアドバイスを受ける人がいる。横で見ていて微笑ましいが、かなり手厳しいご意見も多く、奥様のダメ出しはズバリ容赦ない。まあ、アーティストであるご主人の癖も性格もわかっているわけだから、そのご指摘はもっともであるし、真剣に耳を傾ける旦那の方も奥様を信頼しきっていることがわかる。

 本番になると客席で聴く奥様もいれば、ステージ扉の小窓から心配そうに見守る人もいる。いずれにしても、その結果ひとりよがりにならず、期待以上の舞台パフォーマンスが生まれるのは確かだ。何事もダメ出しをされると、人は落ち込んだり腹を立てたりするものだが、最も身近な人の場合は説得力が違うのだろう。

 ある時、海外の男性アーティストに付き添ってきた現地のマネージャーらしき男性が外国語であれこれダメ出しをしていた。珍しいケースだなあと眺めていたが、後で聞くと、実は二人は恋人同士だったようである。

(すぎジイ)

2025.07.19

すぎジイのつぶやき「柳に風」134

ロビーからの絶景

 豊田市コンサートホールは建物の十階にある。それだけでも珍しいことかもしれないが、高い位置にあることにより晴れの日はロビーからの眺めが実に素晴らしい。遠くに日本を代表する山岳地帯「中央アルプス(木曽山脈)」や「南アルプス(赤石山脈)」の絶景が一望できる日本で唯一?のコンサートホールとして有名だ。冬の空気の澄んだ日はことに美しく、雪山の姿がかなりくっきりとした輪郭で眺められる。

 美しい音楽を聴き、美しい雪山を借景として眺められるとは、なんと贅沢なことだろう。ただ、近年は周りに高層建築物が増えてきたため、どの位置からも眺められた風景が少し限定されてきたのは残念でならない。豊田市は実は自然が多い。中央に矢作川という一級河川が流れ、遠方に山々が連なる。コンサートホールのロビーは、まさにそれが実感できる場所なのである。

 そして、夏は花火だ。矢作川の河川敷で毎年夏祭りに行われる花火大会は全国有数のもので人気が高く、市外・県外からも大勢の人が訪れる。これを空調の効いたコンサートホールの窓から、眼下に人の波を見つつ、悠々と眺められるのは実に気持ちいい。でも、花火はやっぱり仕事場ではなく、外でうちわを扇ぎながらビール片手に見るべきものであろう。

(すぎジイ)

2025.07.06

すぎジイのつぶやき「柳に風」133

達人は「かるい」

 音楽家をはじめ人生の達人と言われるような人たちは「かるい」と思う。「かるい」という言葉は、「口が軽い」のように軽率な意味で使われる場合と、「足取りが軽い」などと軽快な比較的いい意味で使われる場合があろう。現に、自分の身体が軽く感じられる時と、重く感じられる時があるのを経験済みな人は多いはずだ。

 音楽や文学、絵画でも、重苦しいものや難しいものはどこか理屈っぽくて、作者の葛藤が見え隠れするような気がするのに対し、逆に軽快でわかりやすく時にユーモアさえ感じる作品は真に力の充実した圧倒的な実力が発揮されている時なのではないだろうかと思う。私たちはスポーツにおいても軽々とやってしまう選手を見ると驚くが、まさにこの「軽々とやってのける」姿は非常に力の充実している真っ只中の状態なのではないだろうか。

 クラシック演奏家の中でも、例えばホルン奏者のラデク・バボラークの演奏は、まるでホルンではないようなリズミカルで軽やかな響きである。ホルンは簡単そうだから、少し習えば僕にもできそうだなんて軽率に考えるととんでもないことになる。同じく、落語家のまさに立石に水のごとく軽妙な語り口は、同じ話を自ら真似してみるといいが、まともに次の言葉なんて出てこないはずだ。つまり、軽くやってのける人、洒脱な芸風の人こそ本当の達人なのではないだろうか。

 「かるみ」ということは俳句で芭蕉が重んじてもいる。芭蕉は意味深な句よりも風景をそのまま詠んだような「かるみ」にむしろ「ふかみ」を見出している。

 「かるみ」を軽く見ず「おもんじて」いきたいものである。

(すぎジイ)

2025.06.20

すぎジイのつぶやき「柳に風」132

ピアノを楽屋に運んだ話

 もう今なら時効だから文字にしてもいい話だろう。豊田市コンサートホールの開館記念ガラコンサートでの出来事である。ガラコンサートとは、祝祭コンサートの意で、一般にはオーケストラや合唱と共に声楽家やヴァイオリニストやピアニストなど人気のソロ演奏家が入れ替わりパフォーマンスを披露する華やかなコンサートのことだが、その本番前日のリハーサルの日、出演者の一人で当時日本を代表する女流ピアニストH.N女史が会場入りし、舞台リハーサルを終えて楽屋に戻った時だ。通常ピアニストにはアップライトピアノが常設された楽屋を用意するのだが、彼女は「ここで私にこのおもちゃを弾かせるつもり?」と凄まれてしまった。つまり、実際コンサートで使うようなグランドピアノかせめて少しコンパクトなセミグランドピアノを私の楽屋に入れてほしいという要望なのである。「そうでなければ、私は明日弾かないから」と脅されたのだ。コンサートというものは主役が演奏家であり、周囲のスタッフは演奏家が最善の状態で本番を迎えられるように努めなければならない。本番にピアノを弾いてもらえないと困ってしまう。急遽、演出家、舞台監督、館長、マネージャーなどコンサートを支える中心メンバーが話し合い、なんとか楽屋に入っているアップライトピアノを外へ出して、替わりにリハーサル室にあるセミグランドピアノを中に入れるしかないということで話がまとまった。しかし、それを誰がやるのか? 普通なら素人が楽屋の狭い出入口をピアノの出し入れすることは不可能なわけだが、本当に偶然というか、普通ではありえないことだが、たまたまこのガラコンサートでは、他の出演者のために異なる機種のピアノ調律師が3人ホールに来ていたのである。大の男が3人がかりでセミグランドピアノの足を取り外して分解し、汗かきながら狭い楽屋の入口から搬入、中で組み立て作業をしていただいた。もちろんその後に調律も。こうしてN女史は楽屋でピアノに触れ、翌日の本番は事無きを得たのである。

 驚いたことに、このグランドピアノの楽屋搬入事件は、その翌週にはクラシック音楽業界ではすでに広まっており、多くの方から「豊田市コンサートホールさんは大変でしたね」とニヤニヤされたのである。

 後日談だが、ある音楽家によれば、「それは、本番直前まで彼女がその演奏曲をさらっていなかったんじゃないかな(笑)」と言われた。リサイタルとは違い、舞台が自分の練習のためだけに使えないガラコンサートの場合、演奏者は楽屋で練習するしかない。彼女はあの日、実は楽屋で猛烈に練習していたのかもしれない。

※「曲をさらう」とは、以前練習した曲をより深く理解し、演奏技術を高める行為のこと。

(すぎジイ)

 

2025.06.05

すぎジイのつぶやき「柳に風」131

バルト三国と北欧演奏旅行

 名古屋の男声合唱団・東海メールクワィアーに在籍していた1997年に、合唱王国と言われるバルト三国のエストニアと北欧のフィンランドに演奏旅行に行った。いろんな意味で衝撃を受け、その後の自分の嗜好に大きな影響を与えた旅であった。

 前述の「歌う革命」でも取り上げたが、エストニアはかつて帝政ロシアの植民地となり、ロシア帝国崩壊後は旧ソビエト連邦に統合された。やがて1991年に革命によって独立を果たした国である。私たちが訪れた時は、まだ独立から数年の間もない頃で、首都タリンの中央駅にはロシアの列車も停車していた。今でこそIT立国と言われているが、当時はまだどことなく共産圏の影を落としていた。深夜に着いたタリンの空港は寒々としており、緊張感が増していた。ホテルで宿泊した翌朝、旧市街地を散策したが、その石畳とまさに中世さながらのオレンジ色の屋根の集合体が気分を中世都市に戻すかのようだった。

 その夜のコンサート会場は、まさにその旧市街地にあるブラックヘッド・ギルド会館という中世に栄えた若い商人たちの組合のホールで行われた。また、終演後の打上げはタリン工科大学男声合唱団の練習会場でもあるタリン郊外の小高い丘の斜面に建つ中世建築様式のグレン城に場所を移し、盛大に行われた。大量のエストニアのSAKUビールと豪勢ではないがいかにも酒のツマミらしい豆類や干し魚を中心の渋い料理で歓待された。飲んで歌って、歌って飲んでまた飲んで、という具合に夜が更けるまで異国での酒宴は続いたのだった。言葉は違えど、歌は国境を越える。そして男声合唱団に属する男たちは世界共通なのだと実感したものだ。

(すぎジイ)

2025.05.16

すぎジイのつぶやき「柳に風」130

漢詩の魅力

 中国の魅力は詩と料理だと思う。

 豊富な食材を強火と油で合理的に調理する中国料理は世界的にも人気があり、「世界三大料理」の一つとして知られている。一方、その中国料理店でよく壁に掛けられているものが有名な詩であったりする。漢詩については優れた詩人が綺羅星のごとくおり、風流な詩を後世に残した。

 さらにまた、能にもその漢詩を取り入れた曲が多く、例えば、「楊貴妃」や「邯鄲」、「砧」、「天鼓」、「三井寺」、「道成寺」などの名曲に実にうまく活かされている。唐の玄宗皇帝と楊貴妃の恋愛物語が語られている白居易の「長恨歌」や晩秋の孤独な旅愁を詠んだ張継の「楓橋夜泊」はいずれも名高い詩であるが、前者は文字通り能「楊貴妃」に、後者は「三井寺」や「道成寺」に夜の寂しさを高めるために効果的に取り入れられている。

 漢詩の味わいは、しみじみとした内容もさることながらそのリズムや語感も面白く、一杯やりながらそらんじてみたりすると酒もまた美味くなるというものだ。私が個人的に好きなのは、田園詩人の陶淵明や詩仙といわれた李白だが、静かな心と俗世間を対比した李白の「山中問答」や月を友として飲む酒の味わいを語る「月下独酌」は、それ自体が酒の友となるのである。

「山中問答」 李白

問余何意棲碧山

笑而不答心自閑

桃花流水窅然去

別有天地非人間

 

余に問う 何の意あってか碧山に棲むと

笑って答えず 心 自ずから閑なり

桃花 流水 窅然として去る

別に天地の人間に非ざる有り

 

「月下独酌」 李白

花間一壺酒

独酌無相親

挙杯邀明月

対影成三人

 

花間 一壺の酒

独酌 相親しむ無し

杯を挙げて明月を邀え

影に対して三人と成る

(すぎジイ)

2025.05.01

すぎジイのつぶやき「柳に風」129

響きのいいホールの条件とは?

 クラシック専用のコンサートホールで一番大切なことは、音響だ。

 豊田市コンサートホールは、日本屈指の永田音響設計による音響設計がされている。音響設計とは、通常の建築設計とは別にホール内の反響や残響などを適切に制御し、遮音や防音も徹底して、より静かでよい響きを体感できる音響空間を構築することである。当館の場合、残響は空席持で2.4秒、満席持で2秒という設計がされており、クラシック音楽を生音で聴くのにベストな数値となっている。永田音響設計の理念は「静けさ」「よい音」「よい響き」と言われており、静かな空間で演奏者が快適に演奏でき、客席で良好な音質と響きで聴けるような優れた音響空間が実現しているのだ。

 当館において、これまでにも多くの世界的アーティストからその響きの良さを絶賛されてきたことは大変嬉しく、誇らしい。かつて、名指揮者パーヴォ・ヤルヴィ率いるドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団が来日した時、豊田市コンサートホールの音響を大変気に入っていただき、なんと当館だけ他館とは異なるアンコール曲としてシベリウスの「悲しきワルツ」を演奏して、深い感動をもたらした。「悲しきワルツ」はパーヴォが大切にしている曲らしく、当館の響きの良さを気に入り、それに合わせて特別に演奏してくれたようだった。そのことは、日本国内のコンサートツアー中、他館に行っても「昨日の豊田のホールの響きはよかった」と何度も言っていたとマネージャーから聞いたのである。ホール主催者としては最高に嬉しい瞬間だ。さらにまた、海外在住のある世界的ピアニストが、日本では、東京のサントリーホールと福岡のコンサートホールと豊田市コンサートホールだけを理想の演奏会場としてリクエストしてきたということもあった。ホールをご指名いただくことの名誉は、何物にも代えがたい。ホールにとって音響は命なのである。

(すぎジイ)

 

2025.04.30

すぎジイのつぶやき「柳に風」128

日本の大衆酒場の最高峰

 名古屋に明治40年創業で日本の大衆酒場の最高峰と言われる老舗「大甚」がある。大きく「酒」と書かれた紺地の暖簾をくぐるとそこはもう夢の世界だ。入ってすぐに酒の菰樽がドンと構え、お燗番の女将さんが采配を振るう。ズラリ並んだ徳利が美しい。その横では大将の「いらっしゃあ~い」の大きな声が響き渡り気持ちいい。この店は、一枚板の大きなテーブルがいくつもあり、一人でも数人でも相席がルールだ。つまみは小皿に盛られたありとあらゆる種類の季節のものが、ショーケースに所狭しと並んでいる。好きなものを好きなだけ取って自分のペースで燗酒をいただく。まるで時代劇にも出てくる江戸時代の庶民の酒場のイメージだ。

 土曜日になると尋常ではない。夕方4時の開店を目指して行くと、第一陣では入れなくて長蛇の列に並ぶことになる。つまり3時頃から並んでいる輩がいるということだ。

 店内は、大喧騒が故にかえって静けさを感じるほど。冬は煮凝りに豆腐鍋、春を目前にめかぶ、酢だこ、メヒカリの炙りをサカナに燗酒をゆっくりと飲るのはたまらない。柱時計は5時。外はまだ明るいのに、ショーケースのネタはもう無くなってきた!

(すぎジイ)

2025.04.20

すぎジイのつぶやき「柳に風」127

拍手のタイミングはいつ?

 能が終演した時、拍手のタイミングがわからないという問合せがよくある。結論から言えば、拍手はしてもしなくてもよい、である。もし拍手をするなら、舞台上からすべての出演者がいなくなり、幕が下りてからするのがベストなのだ。

 実は、日本人は元々拍手をしなかった。神や目上の人の前で「かしわで」を打つのは古くから行われていたが、江戸時代まで拍手の習慣はなかったようだ。能・狂言は言うに及ばず、歌舞伎の観客なども拍手はしなかったらしい。『半七捕物帳』の著者・岡本綺堂の随筆に、彼が明治12年、8歳の時に新富座で歌舞伎を見た経験が書かれており、「俳優の名を呼ぶ声もしきりに聞こえた。しかし手をたたく者は一人もなかった。その頃には、劇場で拍手の習慣はなかったのである。」とある。その後、明治39年に書かれた夏目漱石の『坊ちゃん』では、坊ちゃんが赴任先の学校で「教場へ出ると生徒は拍手をもって迎えた。」との記述があるので、おそらく明治の中盤に、西洋人が音楽会や観劇の後に拍手をするのにならい、拍手の習慣が広まったと言われている。

 能楽堂では、昭和20年代までは拍手をしなかったようだ。その後しだいに拍手をする観客が増えてきたために、いくつかの能楽堂で「拍手はシテ(主役)の退場時だけ」というお願いを出すようになったとのこと。本来、能は拍手が無い前提で構成されているので、拍手はかえって進行を妨げるのだ。歌舞伎にしても過度な拍手は妨げになる。

 能を観ていると、本当に感動した時はため息こそ出るが、拍手ができないことがある。席を立てないほどの感動もあるのだ。舞台上の出演者が全ていなくなっても、その余韻を味わうということが能の醍醐味ではないだろうか。

(すぎジイ)

2025.04.05

すぎジイのつぶやき「柳に風」126

「舞い」と「踊り」は何が違う?

 能を演じることを「能を舞う」と言う。「能を踊る」とは決して言わない。ではそもそも「舞い」と「踊り」とは何が違うのだろうか?実はその発祥や目的からして根本的に違うのだ。

 「舞い」の動きは水平移動が基本。特徴は水平に回る旋回運動である。その動きはまず心から先にでき上り、それに動きがついてきた。手と上半身の動きが意味を持ち、手に扇や鈴などを持つことも多い。重心は低い。神仏に対して行う献上の動きで、根本的には一人から始まる芸能だ。神社で奉納される巫女舞や獅子舞は代表的な「舞い」である。

 一方「踊り」の動きは上下の動きが基本。特徴は跳躍運動で、「踊り上がって喜ぶ」という表現を使うように各地の盆踊りや念仏踊りでは、飛んだり跳ねたりといった激しい動きを持つものも多い。身体が先に動く身体躍動感みたいなものから始まり、それに掛け声や唄が後でついてきた。跳躍運動なので、重要なのは下半身や足の方だが、重心は高い。人に対して行う動きで、複数の人や集団で踊る庶民の参加型の芸能が日本の踊りの基本形だ。盆踊りや念仏踊りが典型である。

 日本人なら、「舞い」と「踊り」の違いはぜひ覚えておきたいものである。

(すぎジイ)

2025.04.01

すぎジイのつぶやき「柳に風」125

隠居への憧れ

 定年が60歳から61歳に1年延長され、61歳の年度末に定年退職を迎えた。すでに昨年60歳で管理職を下り、デスクから現場へ“舞い戻った”1年であった。収入は大幅にダウンしたが、肩の荷が下り、大好きな舞台芸術の現場で舞台の裏方として働くことはとても嬉しく、楽しく、身体にもいいようだ。

 思えば32歳で転職をして、働き盛りに約30年間コンサートホール・能楽堂で仕事をさせてもらった。4月からは再任用となり、一年一年契約することとなる。先のことはわからない。

 作家・藤沢周平の「三屋清左衛門残日録」を読むたびに、隠居というものに憧れていたが、私たちの世代はまだまともな年金も支給されず完全な隠居は無理である。そもそも隠居とは、広辞苑によれば「世事を捨てて閉居すること」あるいは「家長が官職を辞し、または家督を譲って隠退すること」とあるが、いずれにせよ表舞台からは一歩退いて隠れて居することである。そういう意味でも、舞台の裏方に徹することは理に適っており、理想的なスタイルだ。まあ、まだまだ働かなければならないが、老害にならぬよう余計なことは口出しせずに若い人に任せ、後方支援と穴埋めに徹し、心中の隠居を楽しむことにしよう。

(すぎジイ)