スタッフのつぶやき

2024.04.21

すぎジイのつぶやき「柳に風」102

出演者の食事さまざま

 リハーサルに続いてその合間にする出演者の食事はさらに国別・個人別に個性的で面白い。ベジタリアンは時々いるが、本番前はバナナだけで済ませる人も多い。食事に豪華なお弁当はいらない代わりに、パスタの茹で麺だけ用意してほしいと言われたこともある。紅茶の種類にこだわる人がいれば、意外に洋食ではなく和食にこだわる人もいた。特にお寿司が好きで、本番前にも拘わらず生ものの寿司をリクエストしてきた人がいるし、ホテルの出張サービスで温かい食事をセットしたこともある。来日経験の多いあるウィーンの演奏団体は、リハーサル後の昼食時にはみんな勝手気ままに自由に外出する。夜は日本人の女性に声をかけたりする輩もいるそうだ。缶ビールを買っておいて、終演後すぐに手渡して飲み始めた集団もいる。なぜだかカルピスを好む演奏家は多い。また日本茶も意外と人気だ。地元豊田の名物コロッケや素朴な大判焼きは、出演者に差し入れすると大変喜ばれる。

 食事のついでの行動も実に様々だ。ある人は、ホールに一番近い教会を教えてくれと言われ、本番当日の朝に教会へ出向いてから会場入りした。終演後にわざわざ管理事務所に来て、職員に対して労いの歌声を聴かせてくれた女性ヴォーカルグループもいた。昼食後の休憩時に能楽堂へ見学案内をしたところ、歓喜の声を上げて舞台に上がり、時間通りにホールに戻れなくなったことは一度や二度ではない。担当者はヒヤヒヤになるのだ。

(すぎジイ)

 

2024.04.10

すぎジイのつぶやき「柳に風」101

リハーサルさまざま

 コンサートホールに出演するプロの演奏家のリハーサルは、それぞれ実に個性的だ。お国柄によっても個性が光る。

 例えば、イタリア人の演奏家は喋ってばかりでいっこうに練習しない。一旦始まると今度は本番時間が迫ってきてもなかなか止めようとせず、時間オーバーが普通だ。一方ドイツの楽団は統制がとれていて、ステージマネージャーは厳しい鬼軍曹みたいだったりする。また、ある巨匠ピアニストはリハーサル時間にほとんどピアノに触れず、持ち込んだパソコンでしきりにホールの音響のチェックをしていた。本番に演奏する曲ではなく、ひたすらバッハの曲を弾いていたアーティストもいる。会場入りしてから休みもせずにピアノを弾き続けるピアニストがいれば、ほとんどリハーサルをしない演奏家もいる。すぐに休憩してタバコを吸いに出かける者もいる。ある時、リハーサル中に大きな地震があり、帰国したいと言い出したピアノ伴奏者もいた。リハーサルの様子を演奏者の奥様が聴き、周囲が驚くほど厳しいダメ出しをされている場面を見たこともある。幕がないコンサートホールでオペラを上演した際は、舞台転換もお客様に見られるので、舞台転換そのものをリハーサルしたことがあるし、テレビの収録があれば、別途カメラリハーサルが行われるのが常識だ。

 リハーサルがお国柄や個人によって様々なのも楽しいが、その合間の食事はさらに個性的だ。それは次回詳しく触れることにしよう。本番以上にリハーサルと食事は、演奏者の素顔が見れて面白いものだ。

(すぎジイ)

2024.03.26

あかんちょうのつぶやき「柳に風」100

ロビーマネジメント終演

 コンサートや能・狂言の公演本番当日は、館長としてロビーに立つ。ロビーマネージャーとしてご来場のお客様をお出迎えし、終演後はお見送りをさせていただく。 休憩時はトイレを利用される方やカフェやお茶席でくつろぐ方を見守り、様々な質問を受けて対応する。 客席内が暑かったり寒かったり、携帯の着信音や買い物袋のガサガサ音に対するクレームは言うに及ばず、前に座っている人の帽子で舞台が見えにくい、隣の人の香水の匂いがきつい、演奏に合わせて体を動かしている人が気になる等々、数えきれないほどだ。 驚いたのは、客席でお好み焼きを食べている人がいて、近くのお客様が教えてくださったこともある。

 ロビーに立っていて何よりも嬉しいのは、公演を終えて感動した時の喜びの声を直接、具体的に聞けることである。 目に涙を浮かべて話してくれる方がいれば、大興奮して顔が思い切りこちらに近づいてくる方もいる。 中には、この「あかんちょうのつぶやき」を読んだ感想を聞かせてくれたり、館長として演出上舞台に登場した時にエールを送ってくれたこともあった。

 2024年3月末、役職定年で館長職を降りる。 これまでお会いしてきたたくさんのお客様に感謝の気持ちでいっぱいだ。 皆さま、6年間、ありがとうございました。

(あかんちょう)

 

2024.03.06

あかんちょうのつぶやき「柳に風」99

オルガニストは酒豪?

 パイプオルガンを演奏する人の職業をオルガニストと言う。しかも、コンサートホールや教会には、専属のオルガニストがいる。もちろん、豊田市コンサートホールにもホール専属のオルガニストがいる。

 ホールオルガニストの仕事は、日頃の楽器の弾き込みや点検をはじめ、オルガンに関するコンサートや講座などの企画や演奏、さらには子ども向けのオルガン体験イベントや教室など実に多岐に及ぶ。さらに、オルガンという楽器は他の楽器と違い、ホールや教会によってすべて異なる個性を持つので、コンサートを開催する際には、自ら演奏する場合も他のオルガニストを招聘する場合も、必ず事前に会場入りしてそのオルガンの仕様に合わせて慣れ、音色を決めるレジストレーションという作業とリハーサルが必要だ。

 それらは、ほとんどの場合、本番の数日前から宿泊して昼夜行われることが多いため、必然的に作業後に外食することとなる。お酒に強くなるのももっともだろう。来館した多くのオルガニストがそうであったように、当ホールのオルガニストも例外なくかなりの酒豪である。何度か隣の席でご一緒したことがあるが、楽しく歓談してふと横のグラスに目をやると大抵カラになっている。慌ててお注ぎ申し上げるというわけだ。いい気になって同じペースで飲もうものなら、気がついた時には大変なことになるのである。

(あかんちょう)

 

2024.02.27

あかんちょうのつぶやき「柳に風」98

碁は調和

 10年ほど前、家内の知人から上質な碁盤と碁石をもらったのをきっかけに碁を習ったことがある。ヨチヨチ歩きの15級程度の腕前だ。

 その魅力は、昭和の大名人・呉清源の言葉「碁は、争いや勝負と言うよりも、調和である」そして「相手の着手に依存してこちらの着手が決まる相互依存」に惹かれて、一時期すっかりハマってしまった。下手は下手なりに、碁盤に向かって打っていると余計なことを忘れてすっかり夢中になってしまうのだ。そういう意味ではストレス発散にもなるだろうし、頭の体操にもなる。

 初めて地元の公式戦「囲碁まつり」に出場した時は、13路盤のDクラスで3勝4敗。面白かった。碁は実に奥深く、小さな碁盤に展開される小宇宙。東洋の神秘だと思う。

(あかんちょう)

2024.02.10

あかんちょうのつぶやき「柳に風」97

循環に生きるアイヌの芸能

 アイヌの人々は、老人が認知症になると「神の言葉を話し始めた」「神に近づいてきた」と言って敬うそうだ。なんと豊かな世界観ではないだろうか。

 2023年、能楽堂で見る日本の伝統芸能シリーズで「アイヌの芸能」を企画、開催した。豊田市能楽堂開館25年目にして初めて実現した悲願の企画である。これまで、芸能立国と言われる沖縄の芸能や奄美の島唄なども上演してきたので、北方先住民族のアイヌ独自の芸能もいつか取り上げてみたかった。

 今回は、アイヌの人たちの精神文化と生活に根ざした歌や舞踊を口承文芸の名作の朗読も交え、しかも、伝統的な古式舞踊と現代的アイヌ音楽の両方を楽しめる構成とした。北海道は白老町の白老民族芸能保存会の皆さんをはじめ、現地に行かないと観ることができないアイヌの芸能を生で味わうことができた貴重な機会であった。

 動物、魚、草木… 大自然、いただいたものを還す。カムイ(神)とアイヌ(人間)が、循環の中に共に生きる深い感動を覚える。この日、豊田市能楽堂に確かにカムイが舞い降りたような気がした。

(あかんちょう)

2024.01.24

あかんちょうのつぶやき「柳に風」96

肩の力を抜きなはれ

 桂文珍の新作落語に「老楽風呂」という噺がある。実に面白く、何かに行き詰まった時に聴くことをお勧めしたい。

 定年退職して再雇用になったビジネス男が、帰宅途中に新しい風呂屋を見つけて入ってみた。湯船に浸かると疲れがほぐれ、思わず「ああ~」と声が出る。自分でもジジくさいなあとつぶやいていると、隣にいたお爺さんが、苦労を重ねてきた大人だからこそそういう声が出るのだ。子どもには出せない、気にするなと言い、年齢を重ねることの大切さを語り始める。「競争はいかん、年を取ったことを嘆くな、モノやカネや情報に振り回されるな、ボーっとしている方が豊かな人生だ、肩の力を抜きなはれ」と、飄々と諭されるうちにだんだん気持ちよくなってくる。ものは考えよう、老いは楽しいという人生の極意が散りばめられた味わい深い噺である。

 現代の狭量な肩肘の張った世間を超えた、実に開放的で包括的な世界。この噺を聞くと、年取るってええよ〜 となるから不思議だ。

(あかんちょう)

2024.01.12

あかんちょうのつぶやき「柳に風」95

ニューイヤーコンサートは華やかに

 毎年、新年にニューイヤーコンサートを聴かないと一年が始まらない、という人がいらっしゃる。1年間でニューイヤーだけにご来場される人もいる。その気持ちはわからないでもない。本場ウィーンでも上演され、世界中で放送されるので、わが町でも生のオーケストラで聴いて、その雰囲気を味わいたいというわけである。ニューイヤーコンサートの醍醐味は、ワルツ王と言われるヨハン・シュトラウス2世や1世のワルツやポルカを存分に楽しむことと、お決まりのアンコール「ラデツキー行進曲」で手拍子をしながらステージと客席の一体感を味わうことだろう。

 豊田市コンサートホールでも開館以来、ほぼ毎年の恒例行事としてニューイヤーコンサートを上演しているが、個人的に印象深いのは、ハンガリーの国立ブダペストオペレッタ劇場によるコンサートだ。この劇場はウィーン・フォルクスオーパーと双璧をなすオペレッタ(喜歌劇)の殿堂で、劇場のスター歌手やダンサーたちが専属オーケストラと共に、なんともエキサイティングかつ楽しいステージを繰り広げてくれ、本場のエッセンスを満喫させてくれる。フレンチカンカンやミュージカルのナンバーまで登場するのだ。ウィーンのワルツを中心にしたステージは上品な洒落っ気と格式があるが、ブダペストのステージは、より庶民的でサービス精神旺盛なエンターテイメント性が素晴らしく、その理屈抜きの楽しい弾けるようなニューイヤーコンサートが好きだ。

 ステージには綺麗な花を飾り、シャンペンも用意して、さあ今年も大いに盛り上がろう。コンサートホールの一年が始まる。

(あかんちょう)

2023.12.27

あかんちょうのつぶやき「柳に風」94

くだり坂には またくだり坂の 風光がある

 のぼり坂の後には、くだり坂があるものだ。そして、そのくだり坂にしか見えない景色もある。

 年の瀬も迫ってくると、「かさじぞう」という昔話を思い出す。あるところに貧しいおじいさんとおばあさんが暮らしていた。年の瀬が近いというのに正月を迎えるための餅すら買うことができなかったので、おばあさんが作った笠を売ろうとおじいさんが背中に背負って町へ出かけて行った。だが、残念なことに町では笠は売れず、おじいさんは売るのを諦めて意気消沈してとぼとぼ家路についた。その途中、峠を通ると頭に雪の積もった六体のお地蔵さんに気づき、可哀想に思ったおじいさんは売れ残った笠をお地蔵さんにかぶせ、足りない分は自分の笠をかぶせてやった。町へ笠を売りに行く時には気づかなかったが、売れずに笠を持ち帰る時には、寒そうに佇むお地蔵さんの存在に気づいたのだ。

 くだり坂には、のぼり坂では視野に入らなかった違うものが見えるものである。「かさじぞう」という物語は、そういうことを伝えているように思えてならない。

(あかんちょう)

2023.12.10

あかんちょうのつぶやき「柳に風」93

激しい嫉妬と恨みを持った女性だからこそ救われた話

 来年のNHK大河ドラマは紫式部が主人公らしい。

 紫式部は、平安時代に世界最古の女性文学といわれる『源氏物語』を書いた人だが、その『源氏物語』は能の作品に題材として多く取り入れられ、様々な人間の姿を映し出している。代表的な能の一つが「葵上」だろう。

 主人公は、愛する光源氏の正妻の座を年下の葵上に奪われた高貴な女性・六条御息所である。気品と教養を持ち合わせ、身分の高いプライドゆえにその屈辱は耐え難く、嫉妬で燃え上がるわが身をどうしようもない。能では、般若の面をつけ、生霊となって葵上を呪い殺そうとするが、美しい自分を傷つけまいと本心を押し殺す自己抑圧から生霊にならざるをえなかったのだ。仏法に照らされて、静まり返ったかと思えば、また激しい情念が蘇る。そう簡単に成仏できるものではなく、繰り返す執心を突き抜け、羞恥と悲しみに真に目覚めたその瞬間、例えようのない美しさが訪れる。

 源氏物語の中で男性に人気の高い登場人物は、頼りなさげで控えめな「夕顔」だとよく言われるが、なぜか個人的には、六条御息所に愛おしさを感じる。御息所は、嫉妬心が深いゆえにかえって悟りへ近づけたといえるのではないだろうか。

(あかんちょう)

 

2023.11.26

あかんちょうのつぶやき「柳に風」92

昭和レトロブーム

 今、若者の間で昭和の時代に流行したものが見直されているらしい。純喫茶が好まれ、歌謡曲を聴き、スナックが注目され、古着を愛好しているなど、昭和を代表する大衆文化に目が向けられている。純喫茶では、クリームソーダやプリンアラモード、ナポリタンスパゲッティなど昭和の喫茶店で定番に出されたメニューが人気で、若者にとってはとても新鮮で、競ってインスタにアップしている。歌謡曲は昭和時代に世代を超えて大いにお茶の間を賑わしたものだが、当時の流行歌を若者が自ら歌いYouTubeで流している。歌詞が深くて、味わいがあるのだとか。また、カラオケスナックにも若者が集い、カウンター越しに店のママさんと談笑したり、昭和の歌を歌って、その店で知り合った人と友達になるなど、カラオケボックスでは味わえない血の通った時間を過ごしている。昔母親が来ていた服や鞄を借りて休日に外出したり、古着はカッコいいとして、昭和の時代に流行したヴィンテージ物を古着屋で購入して着ているのだ。

 昭和の時代を人生のど真ん中で過ごした世代にとっては、甘美で感傷的なノスタルジーになりがちだが、若者にとっての昭和の大衆文化は、夢があり勢いがあり斬新であったりとその見方が違うようだ。考えてみれば平成・令和の世代にとっての昭和は、昭和の世代にとっての明治・大正ロマンの時代に相当するのかもしれない。

 レトロな大衆文化の中でも音楽は殊のほか時代を反映しているのも頷ける。当時流行した曲を聴けば瞬く間にその時代の風景が目の前に広がる。「歌は世につれ世は歌につれ」と言われるが、その時代に流行した歌は、その時代の時勢の流行を受けて変化し、世の中の情勢もまた流行した歌に影響されていくという。昭和レトロブームによって再び流行る音楽は、現代のAI社会に何を投げかけるだろうか。

(あかんちょう)

2023.11.08

あかんちょうのつぶやき「柳に風」91

要件を聞こう

 かつて、フレデリック・フォーサイスの最高傑作「ジャッカルの日」を読んで国際スパイ小説に開眼したが、実はその背景には、ゴルゴ13の存在があった。20代の頃、僕はビジネス書として漫画「ゴルゴ13」を読んでいた。狙撃手ゴルゴに殺人を依頼する依頼主が、回りくどい説明をすると必ず「要件を聞こう」と一言。彼の仕事のスタイルは、結論から切り出す、徹底した下調べと事前準備、驚くべきリスクマネジメント、標的を外さない、クロージングは瞬時に、仕事の後はきれいに、ということだ。

 ゴルゴは究極まで人間を信じないが、そこには人間というものは簡単に豹変し、裏切りもする悲しく愚かな存在であることが通底している。裏を返せば、それを事実と受け止めることによる作者さいとうたかお氏の厳しくも温かい眼差しが表裏一体になっていると思う。

 真実のみを信じ行動するゴルゴに貫かれたもの、作者さいとうたかお氏からの問いは何だったのか。今では想像するのみだが、少なくとも「要件を聞こう」の中には、人間とは何かを深く問い続ける視線が描かれているのではないだろうか。

(あかんちょう)