スタッフのつぶやき

2023.08.24

あかんちょうのつぶやき「柳に風」86

蝉は 春・秋を知らない

 8月、一心に鳴く蝉の声を聞くと、毎年必ずこの荘子の言葉「蟪蛄(けいこ)春秋を知らず、朝菌は晦朔(かいさく)を知らず」が身にしみて思い出される。

 ひと夏を精一杯に生き、いのちを輝かせて死んでゆく蝉。夏だけを生きている蝉は、春・秋を知らず夏だけを知っている、のではなく、実は、今が夏という季節だということを知らないということだ。朝だけに生まれる菌(キノコ)は、夜を知らないのだから、朝菌というキノコは、今が朝だということを知らない。翻って、僕たちはどうだろうか? 今しか知らない者は、今も知らない。今がどういう時間なのかわからない。夏を迎えるたびに、繰り返す問いだ。

 今が夏であることを知るためには、夏を越えて、秋や春という季節があることを知っていなければならいというわけである。「自分のことは自分が一番知っている」とよく言うが、実は自分については、自分のことばかり見ていてもわからない。自分の本当の姿を知るためには、自分を越えたものに触れなければならないとは言えまいか。

 短いひと夏を懸命に生きていのち終えてゆく蝉を見る時、蝉のように自分は生きているか、ただただ厳粛な気持ちになってくるのである。

(あかんちょう)

2023.08.12

あかんちょうのつぶやき「柳に風」85

世界の三大長編小説

 高校時代の世界史の教師に、一生の間に読むべき世界の三大長編小説を教えられ、読んだことがある。もちろん、恩師の独断と偏見によるものだが、博学多識であったが故に信憑性は高い。

 その三大長編とは、まずドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」、そしてセルバンテスの「ドン・キホーテ」、3つ目は中国・羅貫中の「三国志演義」である。当然これ以外の小説を推す輩もいるかもしれないが、なにしろ独断と偏見なのでお許し願いたい。

 人類文学の最高傑作とも言われる「カラマーゾフの兄弟」は、作家の村上春樹氏が、<世の中には二種類の人間がいる。「カラマーゾフの兄弟」を読破したことのある人と、読破したことのない人だ。>とまで書いているほどだ。その魅力は一言ではとても言い表せないが、人類に共通する永遠の悩みをどう受け止め、答えを出していくか、その問いと答えが多様な人間模様の中から描かれていることだろう。

 三大長編小説いずれも、若い頃そしてある程度年齢を重ねてから幾度か読んだが、非常に読み応えがあり、常に発見がある。様々な登場人物の生き方を通して、人間とは何か、生きるとはどういうことかを深く考えさせられたものだ。

 今、あれだけの大作に真っ向から挑むのは至難の業だろう。年を追うごとに、気力と体力そして集中力が衰えていくと長編小説を継続して読めなくなってくる。ついつい短編に走ってしまいがちだが、まあそれも自然の流れかもしれない。長編小説は、ぜひ若いうちに読んでおきたいものである。

 さて、今日も短編小説を読むことにしよう。

(あかんちょう)

2023.07.23

あかんちょうのつぶやき「柳に風」84

ろうそく能の秘密

 能舞台の周囲にろうそくを立て、照明器具の代わりにそのほのかな灯りで鑑賞するのがろうそく能だ。かつて薪能が雨天で実施できなくなった時に、室内に移動してろうそくの灯りで上演したらどうかと、能楽堂の若手職員がつぶやいたのがヒントになった。

 さて試してみると、ろうそくの灯りは雰囲気としてはいいのだが光量が足りないため、暗すぎて肝心の舞台上の動きが見えづらい。通常の電気照明を少し当ててみるが、いかにも照明を足しましたということになってしまう。そこで考案したのが、ろうそくの灯と同じ位置から光を当てるという方法だ。ろうそくを立てる鉄製の燭台に特製の穴をあけ、そこに電球を仕込んだ。調光も効くようにし、ろうそくに点火するとぼんやり明かりがともる仕掛けができた。同じ位置から光が出ているので、客席から見れば、ろうそくの灯りだけで舞台上が照らされているように見える。あとは天井前方からのライトでわずかに補充し、鑑賞にも耐えうる雰囲気のある照明を作ることができた。

 ろうそく能に合う演目は、やはり夕方や夜の場面の物語が相応しい。豊田市能楽堂で最初に上演したのは、真夜中が舞台の「鉄輪」。以後、「清経」「葵上」「天鼓」「安達原」「藤戸」「夕顔」ほかたくさん取り上げてきた。ユニークだったのは狂言「死神」で、話の中に登場人物がろうそくの火を吹き消す場面があるが、これを実際に本物のろうそくの火を吹き消すという演出で行ったことである。臨場感があり実に面白かった。

 またある時は、本番上演中に地震が起きたことがある。かなり長い時間に感じられ、ろうそくの燭台もガタガタ揺れたので、思わず飛び出して行って火を消そうかと迷った。幸いしばらくして地震は収まり、能もそのまま演じられたのだが、身の縮む思いがしたものだ。

 ちなみに後日談として、その時舞台上にいたある能楽師の方は、「あの時、一人でもお客さんが逃げ出したら、ワシも一目散に逃げ出そうと思っとった」と平然として見えた心の内を話してもらった。幽玄だけでは済まないこともあるのだ。

(あかんちょう)

2023.07.07

あかんちょうのつぶやき「柳に風」83

ユーモアのセンス

 何事においてもユーモアを大切にすることをモットーにしている。

 米国のサウスウエスト航空は、ユーモアを何よりも重要視している会社らしいが、そのユニークな機内アナウンスは有名だ。

 「皆様、只今から座席ベルトの着用方法についてご説明いたします。皆様の安全のため、離着陸時には必ず座席ベルトをお締めください。どうしても、ベルトを締めるのは嫌だというお客さまはご遠慮なく客室乗務員にお申し出ください。そのようなお客さまのためには、特別なお席が用意されております。翼の上でございます。また、そのお席では、特別な映画がご覧いただけます。映画のタイトルは“風とともに去りぬ”でございます」

 驚くことにこれは実際に流れたアナウンスのようだが、同じことを日本の航空会社が行えば、間違いなく大クレームが殺到するだろう。サウスウエスト航空では、とにかく「乗客に空の旅を楽しんでもらうこと」を従業員に推奨しているらしく、採用試験でもユーモアのセンスを重要視しているとのこと。人間は緊張しすぎる方が大きなミスをしがちだと思う。重要な仕事であればあるほどユーモアの意義は深い。ましてや、苦しみや悲しみ、挫折や落胆を味わった時こそ、その精神は必要だ。ドイツにおけるユーモアの定義とは「にもかかわらず、笑うこと」だという。

 常に心に余裕を持てるユーモアの精神を大事にしたいものである。

(あかんちょう)

2023.06.21

あかんちょうのつぶやき「柳に風」82

夏至 ― 夏の夕べのそよ風 ―

 夏至の日は、ことに19時を回った日没後の空が美しい。

 毎年夏至を迎えると、かつて旅行したフィンランドの白夜の感動が蘇ってくる。かの地の酒場でひとしきり飲んで歌って、さて帰ろうとして屋外に出たらまだまだ夕方の明るい空。ではもう一軒行くかと時計を見たら、夜の22時過ぎだったことを覚えている。白夜の初体験だった。夏至の明るい空を見上げると、あの白夜のことを思い出す。

 その夏至の日に毎年必ず聴きたくなる曲がある。それは世界で最もこの日に相応しいと勝手に思っているお気に入りの曲で、フィンランドの作曲家レーヴィ・マデトヤの男声合唱曲『Suviilan vieno tuuli(夏の夕べのそよ風)』とオスカル・メリカントの「夏の夜」というピアノ曲集の中の小品『Valse Lente(ゆるやかなワルツ)』である。

 美しい夕映えを眺めつつ哀感漂う曲を聴けば、心地よい風とともに、白夜の静寂な湖畔に身を置いているような気分になってくる。

(あかんちょう)

2023.06.13

あかんちょうのつぶやき「柳に風」81

大切に聴きたい音楽

 大切に聴きたい音楽と演奏家がいる。クラシックギタリストの村治佳織さんと村治奏一さんだ。お二人が奏でる音楽は、いつでも、どこでも、誰とでもではなく、心を落ち着けて静かに噛みしめるように大切に聴きたいといつも思う。ギター弦をはじくその一音一音が、小さな宝石のように煌めき、流れる音は美しい天の川のように僕らを包み込む。光り過ぎずかすむことなく、そのほどのよさがたまらない魅力だ。姉弟二人によるコンサートでは、クラシックギター曲の代名詞ともいえるスペインの「アルハンブラの思い出」やジャズのスタンダード・ナンバー、胸に迫る映画音楽のテーマ曲、バッハやショパンなどクラシックの名曲、タンゴの革命児ピアソラもあれば、絶妙なアレンジの日本の童謡メドレーなど、その演奏領域は実に幅広く、プログラム構成の妙と素晴らしさに驚かされる。デュオはもちろんそれぞれのソロもあり、間に柔らかなトークが入る。優しく、さりげなく自然で、色彩豊かで、温かく、情熱的でありながら時に儚く美しい。とても素敵なひと時になる。

 初めて、クラシックギターのコンサートにいらしたあるお客様が、ギター演奏はもちろんだが、その全体の時間の流れのほどよさにとても深い喜びを表現して帰られた。

 村治佳織さんと村治奏一さんの音楽は、大切に聴きたい気持ちになる。

(あかんちょう)

2023.06.04

あかんちょうのつぶやき「柳に風」80

イタリア映画と能

 イタリア映画は能に似ている。

 先日、「帰れない山」というイタリア映画を観た。世界39言語に翻訳された同名の国際的ベストセラー小説を映画化した作品だ。北イタリアの雄大な山麓を舞台に、都会育ちの繊細な少年と牛飼いをする野性味あふれた少年が出会い、大自然の中で親交を深め、葛藤しながら、やがて「ありのままの自分でいられる場所」を二人それぞれ発見していく。どこか懐かしく、静かに心揺さぶられる物語である。

 ハッピーエンドではなく、かといって救いようのない悲劇でもない、どことなく切なく、深い問いを残して終わる。そこが、能に似ているのだ。能は、一般に悲劇で、人間の苦悩や悲しみを描いている。登場人物を通して、昔も今も変わらない普遍的な人間の姿を表現しており、深く考えさせられる。

 昨年、「求塚」という能の上演後、あるお客様が「今日の能は、問いを与えられたというその一点で非常に優れた演劇だったと思います」と語って帰って行かれた。私たちは、何事にもすぐに答えを出そうとするが、答えを求めるのではなく問いを与えられるということに重きを置くことが、むしろ人生を深く生きることにつながるのではないだろうか。

 イタリア映画は能に似ていると思う。

(あかんちょう)

2023.05.30

あかんちょうのつぶやき「柳に風」79

60分&ワンコインコンサートの挑戦

 今でこそ、60分のワンコインコンサートという企画は全国で当たり前になったが、20年近く前までは、まだほとんど見られなかった。クラシックのコンサートといえば、数千円から数万円のチケットで2時間以上の上演が普通。長大な曲をじっくりと聴くスタイルだった。

 当時の新聞記事にも取り上げられたが、その常識を破り、チャレンジしたのがランチタイムに行う60分のワンコインコンサートである。豊田市コンサートホールがその「先駆け」と言ってもいい。当初は「お昼の名曲コンサート」というタイトルでスタートした。平日のランチタイムにお客様は来てくれるのだろうか?という不安を感じながらのチャレンジだったが、物珍しさも手伝ってか、意外にも多くのお客様にご来場いただいた。毎年6回、次から次へと多彩な企画を展開、衣装付きのオペラコンサート、気軽なお昼のニューイヤー、ジャズやアーリー・アメリカン、能楽堂で南蛮音楽、オカリナ、マリンバ・・・。その後、もっと気軽にお越しいただくために、「か~るくラシック」イブニングコンサートと装いを新たにリニューアルして再出発。ギター、ミュージカル、尺八、バンドネオン、昭和歌謡、リコーダー、のこぎり演奏、フィンランドのカンテレ、サックスなどなど、500円では安すぎると言われたことも度々だった。

 今ではすっかり常識になった気軽にカジュアルにクラシック音楽を聴く企画。これからも大いにパワーアップしてお届けしたい。

(あかんちょう)

 

2023.05.14

あかんちょうのつぶやき「柳に風」78

納棺体験

 毎年行っているコンサートホールフェスティバルのお寺バージョン、「お寺フェスティバル」に行ったことがある。場所は、NHKの大河ドラマ「どうする家康」でも出てきた三河一向一揆の拠点で名刹、安城市の本證寺だ。

 「地獄絵図」の絵解きやお寺deヨガ、雅楽舞楽の演奏から仏師彫刻体験などなど、屋台もいっぱい出て催しが盛りだくさん。極めつけは納棺体験だった。白装束に着替え、頭には三角布を着ける。棺桶に横たわり、手を合わせて静かに目を閉じると読経が始まった。蓋を閉じられると、真っ暗な中で周囲の声だけが聞こえてくる。演出として、「お父さん、今までありがとう」「パパ、本当に幸せでした」などと聞こえてくるともうダメだ。熱いものがこみ上げてきてしまう。体験が終わって外に出ると、そこにあるのは、あたりまえの日常だが、なぜか懺悔と感謝の気持ちでいっぱいになる。「死」を考えるということは「生」を考えるということだった。納棺体験は、全ての人にお勧めしたい。

(あかんちょう)

2023.04.23

あかんちょうのつぶやき「柳に風」77

能楽堂で百人一首

 少々自慢話になって恐縮だが、中学・高校時代に校内百人一首かるた大会なる催しがあり、優勝したことがある。元々かるたは得意で、子どもの頃から正月になると祖母と一緒に遊んだものだ。百人一首は、和歌としては日本の代表的な古典文学であり、ゲームとしては記憶力や瞬発力が勝敗を左右するスポーツ競技のような性格を持つ。とても奥深いものである。

 かつて能楽堂で、「能に活かされた百人一首」という講座を行った。能には、百人一首の名歌が取り入れられ、活かされている曲が多くあるが、その歌と能との関連性や背景、魅力などを歌人の佐々木幸綱氏のお話と女優の檀ふみさんの朗詠・朗読で味わうという内容だ。しかも、当時の名人とクインをゲストに招き、競技かるたの実演を能舞台の上で見せてもらうというオマケ付き。さらに歌の読み手が檀ふみさんという、なんと贅沢で素敵な企画だろう。

 一段高い位置にある能舞台でぱ~んとはじかれた取り札が、ものすごい勢いで客席に飛んできたのは、言うまでもない。

(あかんちょう)

2023.04.08

あかんちょうのつぶやき「柳に風」76

ウィーン・フィル初登場

 2006年に、豊田市コンサートホールで初めてウィーンフィルのコンサートを行った。もちろん即日完売で、遠方からのお客様も多かった。

 なにしろ、ネットでチケットが予約できる現在と違って、当時はまだ電話と窓口での券売が中心。発売日が近づくと、窓口に並ぶための様々な問い合わせが殺到した。コンサートホールの建物の入口は一つだけか他にもあるのか? どこに並ぶのが早いのか? 建物は何時に開館するのか? 発売日の前日から宿泊するつもりだが近くにホテルは? 夜中に並んでもよいか? などなど驚くべき問合せだ。実際には、前夜から建物の外に並んだ方もあり、チケット入手のために飛行機や新幹線を使いホテルに宿泊された方もいた。事務所のカウンターも特設レイアウトを設置して、購入されるお客様の列の流れの混乱を防ぐために工夫した。ネット予約が進んだ現在では考えられないことである。

 それでも、そのようにして入手されたチケットによる本番のコンサートは素晴らしく、客席は高揚し、滅多に聴けないウィーンフィルの音を耳に焼き付けるかのように熱いものを感じた。古楽演奏の第一人者、巨匠ニコラウス・アーノンクール指揮、モーツァルトの三大シンフォニー、極上の響きである。

 近年、ウィーンフィルのメンバーを中心に構成された室内オーケストラのコンサートを毎年春に行うようになったが、あの時のウィーンフィルの響きは、豊田市コンサートホールの四半世紀の歴史の中で、金字塔のように輝いている。

(あかんちょう)

2023.03.25

あかんちょうのつぶやき「柳に風」75

花びらは散っても、花は散らない

 とても好きな言葉だ。

 9年前、親父が亡くなった時、花びらは散った。深い喪失感と悲しみを感じたが、年数が経つうちに、花は散らないと思うようになった。実存する親父はなくとも、廻向として今僕と共に生きている力強い豊かなものを感じるようになった。だから、花びらは散っても、花は散らない。

 毎年この季節になると、定年退職される方にもこの言葉をお贈りすることにしている。形の上で別れがあり、姿カタチは消えてなくなっても、その人の言葉や考え方や生き方、その人が職場に残した影響や爪痕は残った人たちの心の中に花となって咲き続けるだろう。いや別れがあるからこそ、深いところで共に生きていると言ってもいい。

 3月、多くの花びらが散るだろうが、花は散らない。

(あかんちょう)