スタッフのつぶやき

2023.06.04

あかんちょうのつぶやき「柳に風」80

イタリア映画と能

 イタリア映画は能に似ている。

 先日、「帰れない山」というイタリア映画を観た。世界39言語に翻訳された同名の国際的ベストセラー小説を映画化した作品だ。北イタリアの雄大な山麓を舞台に、都会育ちの繊細な少年と牛飼いをする野性味あふれた少年が出会い、大自然の中で親交を深め、葛藤しながら、やがて「ありのままの自分でいられる場所」を二人それぞれ発見していく。どこか懐かしく、静かに心揺さぶられる物語である。

 ハッピーエンドではなく、かといって救いようのない悲劇でもない、どことなく切なく、深い問いを残して終わる。そこが、能に似ているのだ。能は、一般に悲劇で、人間の苦悩や悲しみを描いている。登場人物を通して、昔も今も変わらない普遍的な人間の姿を表現しており、深く考えさせられる。

 昨年、「求塚」という能の上演後、あるお客様が「今日の能は、問いを与えられたというその一点で非常に優れた演劇だったと思います」と語って帰って行かれた。私たちは、何事にもすぐに答えを出そうとするが、答えを求めるのではなく問いを与えられるということに重きを置くことが、むしろ人生を深く生きることにつながるのではないだろうか。

 イタリア映画は能に似ていると思う。

(あかんちょう)

2023.05.30

あかんちょうのつぶやき「柳に風」79

60分&ワンコインコンサートの挑戦

 今でこそ、60分のワンコインコンサートという企画は全国で当たり前になったが、20年近く前までは、まだほとんど見られなかった。クラシックのコンサートといえば、数千円から数万円のチケットで2時間以上の上演が普通。長大な曲をじっくりと聴くスタイルだった。

 当時の新聞記事にも取り上げられたが、その常識を破り、チャレンジしたのがランチタイムに行う60分のワンコインコンサートである。豊田市コンサートホールがその「先駆け」と言ってもいい。当初は「お昼の名曲コンサート」というタイトルでスタートした。平日のランチタイムにお客様は来てくれるのだろうか?という不安を感じながらのチャレンジだったが、物珍しさも手伝ってか、意外にも多くのお客様にご来場いただいた。毎年6回、次から次へと多彩な企画を展開、衣装付きのオペラコンサート、気軽なお昼のニューイヤー、ジャズやアーリー・アメリカン、能楽堂で南蛮音楽、オカリナ、マリンバ・・・。その後、もっと気軽にお越しいただくために、「か~るくラシック」イブニングコンサートと装いを新たにリニューアルして再出発。ギター、ミュージカル、尺八、バンドネオン、昭和歌謡、リコーダー、のこぎり演奏、フィンランドのカンテレ、サックスなどなど、500円では安すぎると言われたことも度々だった。

 今ではすっかり常識になった気軽にカジュアルにクラシック音楽を聴く企画。これからも大いにパワーアップしてお届けしたい。

(あかんちょう)

 

2023.05.14

あかんちょうのつぶやき「柳に風」78

納棺体験

 毎年行っているコンサートホールフェスティバルのお寺バージョン、「お寺フェスティバル」に行ったことがある。場所は、NHKの大河ドラマ「どうする家康」でも出てきた三河一向一揆の拠点で名刹、安城市の本證寺だ。

 「地獄絵図」の絵解きやお寺deヨガ、雅楽舞楽の演奏から仏師彫刻体験などなど、屋台もいっぱい出て催しが盛りだくさん。極めつけは納棺体験だった。白装束に着替え、頭には三角布を着ける。棺桶に横たわり、手を合わせて静かに目を閉じると読経が始まった。蓋を閉じられると、真っ暗な中で周囲の声だけが聞こえてくる。演出として、「お父さん、今までありがとう」「パパ、本当に幸せでした」などと聞こえてくるともうダメだ。熱いものがこみ上げてきてしまう。体験が終わって外に出ると、そこにあるのは、あたりまえの日常だが、なぜか懺悔と感謝の気持ちでいっぱいになる。「死」を考えるということは「生」を考えるということだった。納棺体験は、全ての人にお勧めしたい。

(あかんちょう)

2023.04.23

あかんちょうのつぶやき「柳に風」77

能楽堂で百人一首

 少々自慢話になって恐縮だが、中学・高校時代に校内百人一首かるた大会なる催しがあり、優勝したことがある。元々かるたは得意で、子どもの頃から正月になると祖母と一緒に遊んだものだ。百人一首は、和歌としては日本の代表的な古典文学であり、ゲームとしては記憶力や瞬発力が勝敗を左右するスポーツ競技のような性格を持つ。とても奥深いものである。

 かつて能楽堂で、「能に活かされた百人一首」という講座を行った。能には、百人一首の名歌が取り入れられ、活かされている曲が多くあるが、その歌と能との関連性や背景、魅力などを歌人の佐々木幸綱氏のお話と女優の檀ふみさんの朗詠・朗読で味わうという内容だ。しかも、当時の名人とクインをゲストに招き、競技かるたの実演を能舞台の上で見せてもらうというオマケ付き。さらに歌の読み手が檀ふみさんという、なんと贅沢で素敵な企画だろう。

 一段高い位置にある能舞台でぱ~んとはじかれた取り札が、ものすごい勢いで客席に飛んできたのは、言うまでもない。

(あかんちょう)

2023.04.08

あかんちょうのつぶやき「柳に風」76

ウィーン・フィル初登場

 2006年に、豊田市コンサートホールで初めてウィーンフィルのコンサートを行った。もちろん即日完売で、遠方からのお客様も多かった。

 なにしろ、ネットでチケットが予約できる現在と違って、当時はまだ電話と窓口での券売が中心。発売日が近づくと、窓口に並ぶための様々な問い合わせが殺到した。コンサートホールの建物の入口は一つだけか他にもあるのか? どこに並ぶのが早いのか? 建物は何時に開館するのか? 発売日の前日から宿泊するつもりだが近くにホテルは? 夜中に並んでもよいか? などなど驚くべき問合せだ。実際には、前夜から建物の外に並んだ方もあり、チケット入手のために飛行機や新幹線を使いホテルに宿泊された方もいた。事務所のカウンターも特設レイアウトを設置して、購入されるお客様の列の流れの混乱を防ぐために工夫した。ネット予約が進んだ現在では考えられないことである。

 それでも、そのようにして入手されたチケットによる本番のコンサートは素晴らしく、客席は高揚し、滅多に聴けないウィーンフィルの音を耳に焼き付けるかのように熱いものを感じた。古楽演奏の第一人者、巨匠ニコラウス・アーノンクール指揮、モーツァルトの三大シンフォニー、極上の響きである。

 近年、ウィーンフィルのメンバーを中心に構成された室内オーケストラのコンサートを毎年春に行うようになったが、あの時のウィーンフィルの響きは、豊田市コンサートホールの四半世紀の歴史の中で、金字塔のように輝いている。

(あかんちょう)

2023.03.25

あかんちょうのつぶやき「柳に風」75

花びらは散っても、花は散らない

 とても好きな言葉だ。

 9年前、親父が亡くなった時、花びらは散った。深い喪失感と悲しみを感じたが、年数が経つうちに、花は散らないと思うようになった。実存する親父はなくとも、廻向として今僕と共に生きている力強い豊かなものを感じるようになった。だから、花びらは散っても、花は散らない。

 毎年この季節になると、定年退職される方にもこの言葉をお贈りすることにしている。形の上で別れがあり、姿カタチは消えてなくなっても、その人の言葉や考え方や生き方、その人が職場に残した影響や爪痕は残った人たちの心の中に花となって咲き続けるだろう。いや別れがあるからこそ、深いところで共に生きていると言ってもいい。

 3月、多くの花びらが散るだろうが、花は散らない。

(あかんちょう)

2023.03.05

あかんちょうのつぶやき「柳に風」74

弦楽四重奏を聴く効能

 合唱指揮者の松原千振氏によれば、「音楽、特にハーモニーの感覚を養い、耳を鍛えるには弦楽四重奏曲をたくさん聴くのが一番」とのこと。それもハイドンとモーツァルトがいいらしい。

 弦楽四重奏は、ヴァイオリン2、ヴィオラ1、チェロ1という4つの弦楽器による合奏で、最もシンプルでありながら限られた音色の中で多彩な表現力に挑む組み合せだ。文豪ゲーテはこれを「4人の理性的な人間の対話」と表現した。”理性的な”というのがポイントだろう。そうでなければ、ハーモニーは乱れてしまう。

 ハーモニーの感覚を養うという視点で言えば、つまり同質楽器のアンサンブルであるがゆえに、音楽の骨格を純粋に味うことができ、しかも調和のとれた究極の音のバランスを体験できることが大きいのだろう。また、交響曲とは逆に編成がミニマムで演奏者同士の緻密な連携が必要とされることから、クラシックの重要なジャンルとして多くの作曲家が力を入れて作品を残している。なかでもハイドンは先駆者で70曲近い弦楽四重奏曲を作曲しており、いずれも粒ぞろい。緩急自在で安定かつ伸びやかな特徴にあふれている。

 まさにSimple is Best! ハーモニーを感じる感覚と耳を鍛えるには、弦楽四重奏を聴くことだ。

(あかんちょう)

2023.02.23

あかんちょうのつぶやき「柳に風」73

鏡板の松にみる悠久の刻

 鏡板とは、能舞台の正面奥の板のことだが、そこには老松の絵が描かれている。豊田市能楽堂の老松は、日本画家の田渕俊夫先生に描いていただいたものだ。先生の作品は、端正なデッサンに柔らかい色彩を施した丁寧な風景画が多いが、どこか人間の息を感じる温かみのあるところが好きだ。以前、「悠久の刻」と題された田渕俊夫展に行ったことがあるが、忙しくしていた日常の中でふと立ち止まり、ゆったりと悠久の刻を感じる実に豊かな時間であった。

 先生が鏡板の松を描くのは初めてのことであったらしく、皇居前広場や高松の栗林公園など、あちらこちらの松を見に行かれたり、東京のいくつかの能舞台の鏡板を直接見に行くなどして、イメージを創っていかれたと聞いた。個人的には、松ぼっくりまで繊細に描かれた落ち着いた先生の老松はとても気に入っている。開館して間もない頃はまだ白っぽく見えた板の色も近年は徐々に深みが出てきて、葉の緑や幹の茶の色が実に色濃く美しく映え、風格すらも感じられる。

 世阿弥の言葉に「命には終あり 能には果あるべからず」とあるが、多くの方がその前で演じ、多くの方が観続ける鏡板の老松にも果てはなく、文字通り「悠久の刻」を刻んでいくだろう。

(あかんちょう)

 

2023.02.12

あかんちょうのつぶやき「柳に風」72

罪業深い悲しみの中にこそ、最も美しいものが存在する

 能楽師の通夜・葬儀に参列すると、僧侶の勤行の後に能楽師らによる能「江口」の一節が謡われる。<思えばこの世は仮の宿、仮の宿に心を留めてはなりません… 遊女はそう告げて立つやいなや姿は菩薩となり、光明の中に白雲に乗って西方浄土の空に行かれた。そのお姿はまことにありがたく思われることだ(口語訳)>と、亡き人を想えば、涙があふれる瞬間だ。

 曲名の「江口」の里は、大阪は淀川のほとり遊女の里。かつて西行法師が一夜の宿りを求めたが断られた。だがそれは、断ったのではなく、「このような仮の宿に執着なさらぬように」と、出家の身を案じた遊女が泊めるのを遠慮したのだった。夜もすがら、舞台に現れたのは三人の遊女たちが月光の中での華やかな舟遊びをする情景が現れる。哀れな遊女の境遇・生きざまをしっとりと謡い舞う場面だ。能面がことに美しい。

 自らの不浄と罪業を徹底的に認めた、その深い悲しみがあったからこそ、江口の君は菩薩に転じて救われたのだろう。実は、不浄なものの中にこそ、真に美しいものが隠れているのではないだろうか。

(あかんちょう)

2023.01.25

あかんちょうのつぶやき「柳に風」71

「小さな村の物語 イタリア」にみる理想郷

 BSの「小さな村の物語 イタリア」は、大好きなテレビ番組だ。イタリアの都会ではない地方の自然の美しい小さな村で、気候や風土に生活のリズムを合わせ、先人たちが築いてきた文化や伝統、家族や友人を大切にしながら心豊かに生きている人々を描く。それは、海辺の漁村であったり、雪に覆われた山間の寒村や一面ぶどう畑の農村であったり様々だ。村人たちの仕事も、農業、林業、バール、木工職人、テーラー、ピザ職人、村役場など、僕たちが忘れてしまった素朴で素敵な小さな物語が、仕事への情熱とともに静かに息づいている。番組のオープニングとエンディングに流れるカンツォーネ「逢びき」もノスタルジックな雰囲気を盛り上げていて、この番組を見るたびに、経済至上主義で見失ってきた本当の豊かさとは何か、人間本来の暮らしとは何かを考えさせてくれる。

 コンサートホールでも何度かカンツォーネを取り上げたことがあるが、必ずこの番組に登場するありのままのイタリアの小さな村の日常を思い出してしまう。特別でない普通の村人の生活、そこにこそ人生の理想郷が見出されてならない。

(あかんちょう)

 

2023.01.13

あかんちょうのつぶやき「柳に風」70

アイヌの豊かさ

 アイヌ民族は日本列島の北部、とりわけ北海道の先住民族のことだ。言葉は、日本語とは異なる独自のアイヌ語を話す。アイヌとは「人間」を意味し、対して「神」のことをカムイと言う。火の神、水の神、土の神、木の神、空の神、雨の神…、アイヌの世界では、自然界のものには魂が宿るとされ、身の回りのもの全てが「神」なのである。熊や魚なども人間の食にするため神と崇めもてなし、いただいた後は神の国に送る儀式としてくじら祭り、熊祭り(イヨマンテ)を行い、歌い舞い踊る。芸能の根本は常に厳粛な祈りなのだ。独特の刺繡や木彫り工芸も自然に寄り添い、神から与えられた仕事である。人間とは、人間以外の全てのものによって生かされていることを先祖から受け継いできたアイヌ人こそ、真に人間らしい人間なのかもしれない。

 以前ある人から、アイヌの人はお年寄りが認知症になると、「神の国に行かれた、神の言葉を話し始めた」と敬って言うのだと聞いて驚いた。常に神と共に生きるアイヌ、なんと豊かな世界ではないだろうか。

(あかんちょう)

 

 

2022.12.23

あかんちょうのつぶやき「柳に風」69

ないものがあるように見える狂言の至芸

 今年の冬はとにかく寒い。極寒と言ってもいい。北陸や東北の一部は記録的な大雪になっているようだ。師走の雪といえば、狂言に「木六駄(きろくだ)」という大曲がある。

 ある冬の日、奥丹波のとある主人が家来の太郎冠者を呼び、都に住む伯父に歳暮の品の薪と炭と酒樽を届けるよう命じた。大雪の中、太郎冠者は木六駄(六頭の牛に積んだ薪)と炭六駄(六頭の牛に積んだ炭)、合計十二頭の牛を一人で追いながら山道を行く。あまりの寒さに、途中、峠の茶屋で一杯飲んで暖まろうとするが、あいにく酒が品切れのため、ご進物の酒樽に手をつけ、つい一口二口と進むうちにとうとう飲み干してしまう。結局、伯父の所に着いた時には歳暮の樽酒は無く、言い訳をしなければならないことに・・・。

 空が真っ黒になって雪が降り、降りしきる雪の中を十二頭の牛を束ねて追っていくさま、舞台に登場しない牛がまるでその場に見えるように演じるところが至難の技だ。豊田市能楽堂では、当時米寿を迎えていた人間国宝・野村萬師や野村万作師の至芸で鑑賞できたが、実際にはいない十二頭の牛が舞台にはっきりと見えるようであった。

(あかんちょう)