スタッフのつぶやき

2022.11.11

あかんちょうのつぶやき「柳に風」66

文化の日は、開館記念日

 11月3日の文化の日は、豊田市コンサートホール・能楽堂の開館記念日だ。

 今から24年前のこの日、厳かにテープカットが行われ、下階の図書館に続き、能楽堂で弓矢立合、その後に五流派家元総出演による祝賀能、コンサートホールで日本を代表する室内オーケストラによるベートーヴェンの交響曲7番で産声を上げた。

 思えば、オープニングに至るまでの準備の数日間は、徹夜に近い日々が続き、人生の中であれほど仕事にどっぷり漬かった日々もなかったであろう。何事も最初が一番面白いと言われるが、無事オープンさせるために昼夜なく必死だったことが懐かしい。以後、毎年11月3日もしくは前後日に祝祭的な記念コンサートや記念能を上演。現在では決まったイベントこそないものの、やはり文化の日を迎えると記念日としての意識が高まる。今では、当時に生まれた子が成人を過ぎ、新人の職員として一緒に働くようにもなった。感慨深い。

 世阿弥の言葉に、「命には終りあり、能には果てあるべからず」というのがあるが、豊田市の、そして人類の宝ともいえるこのコンサートホールと能楽堂にも果てあるべからず、と心から思う。

(あかんちょう)

 

2022.10.28

あかんちょうのつぶやき「柳に風」65

餅投げ

 秋は収穫の季節だ。日本中の神社で秋祭りが行われる。

 巫女舞、太鼓の奉納と共に収穫物を奉納し、お下がりを皆で分配する古くから伝わる村の祭り。それは老若男女や職業、社会的地位も問わず、皆が一緒に祭りを営む大らかな世界だ。国際社会で国境をせめぎ合う世界からは無縁の村の時代の風景である。

 地元の神社では、小学生たちが神輿を担ぎ、子ども相撲や餅投げを行う。餅投げは、まさに「神饌の分配」の象徴だが、いつのまにかどこからともなく大勢の人々が集まり、我こそはと、必死に受け取ろうとする。人より多く取りたいという僕たちの習性から、短時間に人間性が丸出しになる。それでも現代に生き続ける餅投げは、終わった後に皆が笑顔になる。ほのぼのと懐かしい村の時代の共同体行事なのだ。

 実は経験上、餅は拾う方よりあっちこっち均等に投げる方が難しい。

(あかんちょう)

2022.10.07

あかんちょうのつぶやき「柳に風」64

一往復半の奥行き

 秋も深まり、ススキの穂を目にすると、必ず思い出される能の演目がある。能「井筒(いづつ)」だ。井筒とは、今ではほとんど見ることがなくなった、井戸の地上部分に木や石で作った囲いのことである。

 能は、旅の僧が大和の在原寺を訪れるところから始まる。ひっそり静まりかえった古寺の境内、井戸の囲いにススキが揺れている。かすかな月の光が射し込んでいた。そこに現れた一人の若い女。女はその昔、歌人・在原業平と井戸で背比べをして遊び、やがて恋に結ばれた話を語り始めた。夜がふけると、女は業平の形見の衣と冠を身に着けた男装の姿で現れ、昔を懐かしみつつ、静かに舞を舞う。そっと井戸を覗けば、そこには業平の姿が映る(実際には、業平の形見を身に着けた自分の姿なのだが)。男女一体となり心が疼き感極まる官能の瞬間。男の役者が女装して、その女装した女が男装して恋する女を演じる、という一往復半の奥行きの世界。果たして、恋の永遠性はありうるのか。

 豊田市能楽堂でもたびたび上演しており、秋になると観たくなる世阿弥の名曲中の名曲である。

(あかんちょう)

2022.09.24

あかんちょうのつぶやき「柳に風」63

余白

 人間には余白が必要だ。

 アニメ演出家の高畑勲氏は、その演出において余白を大切にした人である。遺作の「かぐや姫の物語」は、背景や人物の動きに余白が多く、見る人の想像力を掻き立てる。能・狂言は言うに及ばず、間という余白が意味を持つ。茶席は余白の宝庫で、間を前提とした空間だ。ため息が出るような見事な書は、墨文字と空白とのバランスが美を引き立てる。

 余白を埋めないと気が済まない人がいれば、余白が埋まらなくても平気な人もいる。人を受け入れる余白、固定観念に執着しない余白、新しいことも試してみる余白。余白は人生を豊かにする、ような気がする。

 だから、子どもには特に余白が必要だ。毎日ぎゅうぎゅうに習い事や勉強に忙しくて遊ぶ暇がないなどというのは、本末転倒。遊ぶ余白がなくなったら子どもは本当に大事なことを学べない。子どもは遊ぶことが仕事だと言ってもいいのではないか。

 コンサートホールや能楽堂に来て音楽や芸能を楽しむことは、余白の中の余白だと信じたい。

(あかんちょう)

2022.09.14

あかんちょうのつぶやき「柳に風」62

カハヴィタウコ

 何事も一息入れることは大切だ。

 「カハヴィタウコ」とはフィンランド語で仕事中のコーヒーブレイクのこと。舌を噛みそうだが、”カハヴィ”はコーヒー、”タウコ”は休憩の意味。同じくスウェーデン語では「フィーカ」という。北欧諸国では仕事中にコーヒータイムを確保することがあたりまえで、フィンランドではその権利が法律で決められているというから驚きだ。北欧らしいゆったりとした習慣である。労働時間が4~6時間ならコーヒー休憩1回、6時間以上ならコーヒー休憩2回というように、食事休憩とは別に労働法で定められているとのこと。幸福度世界一と言われるフィンランドは、1人当たり年間10kgも消費する世界で最もコーヒーを飲む国でもあるが、このような一息入れる習慣もサウナでリラックスする文化も幸福感の大きな要因なのかもしれない。

 現代は何事にもスピードと効率が重視される。無駄を排除し、必要最小限のコストと努力で速やかに成果を出すことが求められる。しかし、無駄にも2種類があるのではないか。本当に省いた方がいい無駄と、省いてしまうと心が乾き豊かさを失ってしまう無駄である。

 職場においても、スピーディーに仕事をすることは大事だけど、スタッフがゆっくり思索をしたりアイデアを練ること、無駄話をすることも大切だ。そもそもコーヒーブレイクの「ブレイク」とは破る・壊すこと。デスクを離れ、景色を一望して面白いことを考えたい。

 さあ、一息入れてコーヒーを飲もう。

(あかんちょう)

2022.08.26

あかんちょうのつぶやき「柳に風」61

北風と太陽

 旅人の外套を脱がせたのは、冷たく強い北風ではなく、暖かく柔らかい太陽だった。
 地元豊田市にある愛知少年院でアウトリーチ・コンサートを行ったことがある。演奏者は、その翌日に豊田市コンサートホールに出演していただくヴァイオリンの松田理奈さんとピアニストの菊池洋子さんだ。
 整列して会場に入ってくる少年たちは、とても優しい目をしているように僕には思えた。なぜこんな子たちがここに…。やがて、お二人の妥協のない真っ向勝負の熱い演奏を聴くと、あまり気乗りしなかったであろう斜に構えていた少年たちの身体が、まるで外套を脱ぐかのようにどんどん前のめりになっていく。いじめによる不登校から、ヴァイオリンに夢中になった松田理奈さんの小学生時代。彼女の原点が、優しく情熱的な音楽を作り出していた。
 出兵する息子を想う母親の気持ちを歌ったアイルランド民謡「ダニーボーイ」の演奏を聴いて、彼らは何を感じただろう。こみ上げるものを抑えきれなかった。
(あかんちょう)

2022.08.10

あかんちょうのつぶやき「柳に風」60

雪と花火

 毎年、夏に花火を見ると思い出すのが、男声合唱曲にもなっている北原白秋の詞「雪と花火」だ。

 

花火があがる、

銀と緑の孔雀玉……パツとしだれてちりかかる。

紺青の夜の薄あかり、

ほんにゆかしい歌麿の舟のけしきにちりかかる。

 

花火が消ゆる。

薄紫の孔雀玉……紅くとろけてちりかかる。

Toron……tonton……Toron……tonton……

色とにほひがちりかかる。

両国橋の水と空とにちりかかる。

 

花火があがる。

薄い光と汐風に、

義理と情の孔雀玉……涙しとしとちりかかる。

涙しとしと爪弾の歌のこころにちりかかる。

団扇片手のうしろつきつんと澄ませど、あのやうに

舟のへさきにちりかかる。

 

花火があがる、

銀と緑の孔雀玉……パツとかなしくちりかかる。

紺青の夜に、大河に、

夏の帽子にちりかかる。

アイスクリームひえびえとふくむ手つきにちりかかる。

わかいこころの孔雀玉、

ええなんとせう、消えかかる。

 

 読むだけで、まるで目の前の花火を見ているような臨場感、リズム、情緒、そして、ほのかに艶っぽい情景も重ねられた素敵な詞だ。冬の雪と夏の花火をかけ合わせた題名。花火は夜空にパット花開くものだが、その心に残る美しさは、雪のようにちりかかる、そっと消えかかる美しさかもしれない。

 さて、僕たちは、夏の夜の花火にいったい何を見るだろうか。

(あかんちょう)

2022.07.27

あかんちょうのつぶやき「柳に風」59

1勝1敗の価値

 息子が高校野球をやっていた頃のこと。3年生最後の夏の大会で、1回戦は勝利し、2回戦は強豪校を相手に接戦の末、終盤に攻められ敗退した。

 当時はコロナ禍で、一度は大会中止も懸念されたが、結局2試合も野球をすることができた。しかも、価値ある1勝1敗。初戦の貴重な1勝で「勝ち」の喜びを味わい。2回戦で「負け」の悔しさを味わった。両方とも味わえたことは幸せだ。負けた悔しさは、彼らの人生を深めてくれるだろうし、6年ぶりにつかんだ勝利の味は、誇り高き金字塔となって彼らを勇気づけてくれるだろう。勝つことにも負けることにも意味がある。今こそ、そのことを実感してほしいと思ったものだ。

 芸術においても完璧なコンサートは滅多にない。ピアノの巨匠がミスタッチをすることもあれば、能楽師が舞台から転落したこともある。それでも颯爽と演奏し、何もなかったかのように平然と演技を続けるプロの姿にむしろ感銘を受けたお客様も多かった。

 成功にも失敗にも接することのできたことは、懐深く捉えれば、大いに価値あることではないだろうか。負け惜しみではなく、敢えてそう思いたい。

(あかんちょう)

2022.07.14

あかんちょうのつぶやき「柳に風」58

ステージマネージャーという仕事

 コンサートホールやオーケストラには、ステージマネージャーという仕事がある。一言で言えば、舞台を総監督する役目なのだが、舞台の設営から、照明・音響との連携、リハーサルと本番の進行、楽屋の管理まで、コンサートの本番に関わるあらゆる業務を統括する立場なのだ。

 今から24年前、豊田市コンサートホールがオープンするにあたり、今は亡き日本を代表する元サントリーホール、当時紀尾井ホールのステージマネージャーM氏と愛弟子A氏に、その仕事の何たるかの厳しい薫陶を受けた。ステージマネージャー(略してステマネ)は、まず何よりも演奏者が最高の状態で演奏できるように舞台上の設営や照明・音響の調整を取り仕切りながら、同時にお客様からも最高の鑑賞ができるセッティングにしなければならない。ピアノはどこに置いたら一番音がいいのか、室内楽は前方と後方のどの位置で演奏するのが理想の音楽になるのか、オーケストラはその規模や曲目によってどう配置が違うか等々、当然演奏者から訊かれたら、即答できる知識と経験が必要だ。それに加え、客席からの見え方も重要で、譜面台・椅子の数㎝の高さと角度の違い、全てのオケ奏者から指揮者が見え、客席からも全ての奏者の顔が見えて、しかも絵的に美しいラインと最高の音響シフトを創ること。

 大きな感動を生み出す静かなプロの仕事が、ここにもひとつあるのだ。

(あかんちょう)

 

2022.06.22

あかんちょうのつぶやき「柳に風」57

風前の灯

    ― 失われゆく遊郭跡に想いを寄せて ―

 古い建物や街角が好きで、初めての旅先ではそういう場所を探して歩くことが多い。数年前、かつて日本一とまで言われた名古屋を代表する遊郭街・中村遊郭跡を、散策したことがある。

 大正12年、名古屋の大須から移転した中村遊郭は、往時は東京の吉原に匹敵する日本一の規模を誇り、大いに栄えたと言うが、現在では数軒の廓跡を残すのみ。風情ある屋号が寂しそうだったり、堂々たる風格の建物にも草が生い茂っていたりするなど、栄枯盛衰を目の当たりにした。

 街角に立つ昭和30年から営業を始めた老舗酒場の「善ちゃん」は、女将が一人ひっそりと灯を守っていた。店を始めて3年後に、売春防止法により赤線は廃止されたが、その後は、名古屋で芝居を終えた藤田まこと、金田龍之介ら名優たちが立ち寄っては、芝居談義に花を咲かせ、かつて遊郭だった旅館に泊まっていたらしい。小上がりで女将の話を肴にビールを飲む。街に薄っすらと街灯が灯る頃、華やかりし時代の花街の空気が、ほんの一瞬流れたような気がした。

(あかんちょう)

2022.06.10

あかんちょうのつぶやき「柳に風」56

愛すべき北イタリアの男たち

 イタリアという国が好きだ。

 人間味豊かであり、経済至上主義でなく、どう考えても歴史上繁栄の絶頂期は終わっている国。そこがいい。米国のジョン・F・ケネディ空港やフランスのシャルル・ド・ゴール空港に対して、レオナルド・ダ・ヴィンチ空港などという文化人の名前を空港名に冠している国。お金にまつわる事件が多い政治家よりも、美を愛する芸術家の方がやっぱり偉大なのだ。

 イタリア人の演奏家は、リハーサル時間になってもお喋りが盛んで、なかなか始まらなかったり、始まったら今度はなかなか終わらなかったり、時間にアバウトなことが多い。ところが、かつてオカリナの本場イタリアの北部ブードリオからやってきた7人のオカリナ・アンサンブルの男たちは、とても真面目で練習熱心、周囲にも気を使う素敵な紳士たちだった。北と南ではまるで違う国のようだ。コンサートは超絶技巧とカラフルなハーモニー、そして圧巻のパフォーマンスに客席は感涙と熱狂のるつぼと化した。その時思った。愛すべきイタリアは、 歌だけではないのだ。

(あかんちょう)

 

2022.05.25

あかんちょうのつぶやき「柳に風」55

京都、東・西本願寺の能舞台で祝賀能を観る

 かねてから見てみたかった京都の東本願寺と西本願寺の能舞台で、それぞれ祝賀能が上演され、幾度か観に行ったことがある。東本願寺は金剛流、西本願寺は観世流が奉仕していた。

 能は、あるひとつの法要の形だとも言われるが、本願寺八世で中興の祖と言われた蓮如上人は、能狂言を殊のほか好み、法座の中で頻繁に上演したり、法話の素材にもしていたという。また、本願寺の坊官で下間少進という人物は、玄人顔負けの能の名手で、時の名人金春大夫に習い、豊臣秀吉や徳川家康に能を教える指南役でもあった。本願寺と能の関係は深い。

 五月の見事な快晴の下、白州を挟んだ向かいの白書院から観る舞台はとても風情があり、本来野外で行われていた能の姿を目の当たりにする。舞台から書院へ抜ける謡と鼓や笛の音が心地よく、爽やかな風と共に装束の裾がかすかに揺れるのは、屋内ではとても見られない。時間帯による自然光の陰影もまた素晴らしく、新緑の中でまさに自然と一体化した、普段観ることのできない味わい深い能の上演であった。

 実は、この本願寺の能舞台で能狂言を観る小旅行は、娘からの誕生日プレゼントだった。嬉しくて涙が出た。

(あかんちょう)